たわごと~ヴァネツィアに死すの主題について~
「ヴェネツィアに死す」の主題について
この解説では、あえて作品の主題について触れていない。「構造を読む」がテーマなので、話が脱線しないようにした。以下にそれを示す。
「ヴェネツィアに死す」の主題
「若きウェルテルの悩み」は不倫愛という禁断の関係を描いている。
「ヴェネツィアに死す」は同性愛という(その当時は)禁断の関係を描いている。
ゲーテはウェルテルの本能的で衝動的な愛を正当化するために、ウェルテルは太陽の象徴、ロッテは水の象徴とした。(詳しくは下記のNaverまとめに書いてある)
不倫は衝動的な愛であるが、それが社会に受け入れられなくても、それは太陽の動きのように自然なことであるから、だれも非難できない。
これと同じことが「ヴェネツィアに死す」にも言える。
アッシェンバッハは道徳的で教育的な作品を書く作家であった。しかし、ヴェネツィアに行き、タッジオと出会ったことで衝動的な行動をとってしまう。
それが同性愛であり、ストーカー行為である。
つまり、アッシェンバッハもまた本能に駆られた人物なのである。ウェルテルと同一。
ウェルテル=アッシェンバッハ、ロッテ=ヴェネツィア=タッジオである。
(タッジオはイギリス風のセーラー服を着たり、水兵服を着たりしている。イギリスは海洋国家であるからタッジオ=水である。水=ヴェネツィアよりタッジオ=ヴェネツィア=ロッテが成り立つ)
アッシェンバッハが美しいヴェネツィアの街を、ひいては美少年タッジオを愛することは、1910年代の社会では受け入れられなくても、それは太陽の動きのように自然なことであるから、だれも非難できない。
これがこの作品の主題である。そこはかとない主張ではあるが。
さらに、下の表は「ヴェネツィアに死す」の登場人物(というか特徴の)構成表である。
イギリス風の項目に注目してほしい。
イギリス人もしくはイギリス風の格好をした人物が全部で3人いる。赤毛の男、タッジオ、旅行会社の事務員である。
3人とも比較的、主人公に好意的な人物である。旅のきっかけを与えてくれた者、愛する者、ヴェネツィアの実態を教えてくれた者。
他はみな不快な印象のある人物ばかりで、なぜイギリスだけが好印象なのか。
イギリスにはオスカー・ワイルドがいる。19世紀末に活躍し、男色の罪で投獄された作家である。イギリスは1967年まで男どうしの性的活動が犯罪だった。
「ヴェネツィア」が書かれた当時、同性愛を描くのは許されても、正当化するのは許されない情勢にあった。
作者のトーマス・マンは水の都ヴェネツィアとゲーテを使って、そこはかとなく正当化することに成功した。ヒントにイギリス風の人物たちを残した。理由はオスカー・ワイルドへの同情である。
数十年後、そのことにヴィスコンティが気づく。
そして、生まれたのが映画「ベニスに死す」のラストシーンである。
日の光と海が溶け込んでいる。
この瞬間、太陽と水が一つになった。
アッシェンバッハとタッジオが一つになった。死の間際、彼のかなわぬ想いは成就したともいえる。
実は、原作のラストシーンでは日の光に関する描写はない。
本文には、ただ「いつもより遅い朝に起きた」とだけある。波の光の描写もない。そして、いつもより遅い朝ならもう少し日が昇っているはずである。
なぜか?
恐らく、ヴィスコンティは「ヴェネツィアに死す」の奥にある「若きウェルテルの悩み」に気づいてた。
作者のトーマス・マンがゲーテを使って同性愛を正当化しようとしたことに。
だから波の光を映像にすることで、二人を融合させた。
誤解を恐れずに言えば、濡れ場である。
ただ、そんな意図は決してばれてはいけない。まだ1971年である。ばれたら批判どころか公開中止になる恐れがある。
ばれないように、しかし、そこはかとなく伝えている。
このラストシーンこそが、ヴィスコンティの力量のすごさである。これを「ヴェネツィアに死す」の解説にも書こうとしたのだがやめた。
話が脱線しすぎであるから。
下品な解釈かもしれない。トーマス・マンもヴィスコンティも下品だと思われたくなくて、必死に作っている。おっさんのストーカー物語を。
「ヴェネツィアに死す」を調べると、「老いていく作家の苦悩」「理想の美の追求」という文言が出てくる。
ギリシャ的な美に関する記述が多いのは確かであるが、本当にそれだけなのだろうか。アダージェットは愛の楽章である。「ヴェネツィア」も愛がテーマだと思えてしょうがない。
ただ自分はマンが同性愛者だったとかヴィスコンティが~、とかは語りたくない。そういうワイドショー的な考察が一番嫌いなのである。
どんなに作家の日記を調べても、過去の経歴を掘り返しても無駄なのだ。
そこに真実はない。知りたければ、作品を、中身を徹底的に読むしかない。そこから逃げて、作家の私生活からでしか語れない人間の文章に価値はない。
次回は「ブッデンブローク家の人々」をやる予定である。場合によっては変更もある。