絶賛、「神曲」解説書いている途中なのですが、あまりにも長くなりすぎたのと整理の意味も込めてPart2
前回、三位一体教義について簡単にまとめました。
前回はプロテスタントのことまで触れて終わったのですが、その前にトマス・アクィナスとスコラ哲学について書きます。
神曲はトマス・アクィナスの「神学大全」から影響を受けています。もちろん、すべての点でダンテはトマスに賛同しているわけではないのですが方針は一致しています。
では、その方針とは何なのか。
スコラ哲学
詳しい説明は省きますが、神学者たちの中でキリスト教と哲学の融合は行われていました。具体的には、カトリックとプラトン哲学の融合です。2~8世紀ぐらいの話です。そして生まれたのが教父哲学です。アウグスティヌスが有名ですね。
要するにキリスト教を哲学で補強することで正当性を高める戦略なのです。ギリシャ哲学でキリスト教の権威を高め、異教に信者を取られないようにしていました。
この宗教と哲学を混ぜる流れが強まってできたのが「スコラ哲学」です。英語のschoolはスコラが由来だそうです。では具体的に「理詰めでキリスト教について考える」をやるにはどうすればよいのでしょうか。
そこでスコラ学者が注目したのがアリストテレスです。
アリストテレスはプラトンと比べると理性的、科学的な態度であると知られています(というか今日の自然科学はアリストテレスから始まりました)。その活動の最たるものがトマス・アクィナスの「神学大全」でした。
ダンテもこのトマスの路線を採用しています。「神曲」には形相や質料といったアリストテレス哲学の用語が出てきますし、何より数学的な全体構成が理性を注入しようという意志にあふれています。
融合路線失敗?
しかし、どうもこの路線、カトリック的には失敗だったのではないでしょうか。
信仰と理性の融合、なんて聞こえはいいですが理性が発展する、論理的思考能力が養われてくると既存の信仰に疑問を持つ者が現れます。「今のやり方は神の教えに従っているのだろうか」「そもそも神はいるのだろうか」と。教会に逆らい始めちゃうんですね。
そして16世紀に入ると宗教改革です。ということはカトリックの分裂、プロテスタント誕生の戦犯はトマス・アクィナスです。トマスはスコラ哲学を完成させ、カトリックの権威向上に貢献しましたが、アリストテレスをくっつけたことはまずかったです。まあそれ以上に、教会は金に目がくらんで相当腐敗していたようですが。
アリストテレスは「世界に始まりも終わりもない」と主張したのですがトマスはこれを「論理的に反駁できない」と発言し、断罪されています。「始まりも終わりもない」ということはループ時間ですから直線時間のキリスト教から離れています。トマスも薄々円環時間が本源的であると気づいていました。
というか「オッカムの剃刀」なんかプロテスタントどころか無神論に近づいています。なんせ神の存在を記述から省いているわけですから。オッカムはスコラ哲学の所属です。カトリックにとってアリストテレス哲学を混ぜたのは、長期的に見て失敗だったのです。
イスラム教
ところで宮崎市定曰く、「プロテスタントはキリスト教のイスラム化」だそうです。なるほど聖典主義、聖職者なし、偶像崇拝否定など共通点は多いです。
正教はキリスト教の教えを忠実に守っていますがそれ故にイスラム教の勢いに負けています。つまりカトリックしかイスラムに対抗できていない。これは非常にまずいです。キリスト教が、西洋がイスラムに飲み込まれてしまうことを当時の人々は恐れていたはずです。
そもそもルネサンス以前の西洋社会はイスラム社会に大きく遅れを取っています。
例えば、紙です。イスラム世界では8世紀ごろには紙を使った文書記録が始まっています。それに対して西洋社会が紙を使い始めるのは12世紀です。400年の遅れです。
さらに、ダンテは「神曲」を執筆する際、紙ではなく羊皮紙を使用しています。つまり14世紀初頭のイタリアでは、紙の使用はさほど普及していなかったということです。
イスラムついでに、先ほど紹介したアリストテレスも実はイスラム圏からの輸入でした。アリストテレスはギリシャ人ですからギリシャ語で書いています。普通はギリシャ語→ラテン語経由で彼の著作を読んでいる、と想像します。
ところが、ダンテが読んだのは、アヴェロエスという人物が注釈したアリストテレスの著作でした。アヴェロエス(Averroes)という名は通称でして、本名はイブン・ルシュド(أبو الوليد محمد بن أحمد بن رشد)です。アラビア語ですからイスラム圏の人です。
スペインのコルドバ生まれのようですが、この地方は8世紀ごろにイスラム教徒(後ウマイヤ朝)に支配されるとイスラム文化が大量に輸入されました。教会とモスクが融合したメスキータはその代表例です。
後ウマイヤ朝が滅びるとこれまたイスラム教のムワヒッド朝が支配します。アヴェロエスはこの王朝でお医者さんとして仕えていたようです。
ということで、当時のアリストテレス哲学はアラビア語からラテン語に翻訳されたものでした。どうもローマ帝国が崩壊してから、アリストテレスは忘れ去られたらしく、代わりにイスラム学者が大切にしていたようです。大切にするばかりでなく、彼の哲学から数学や化学などの自然科学の学問を発展させることにも成功しています。
こうしたイスラム文明の知見を、イスラム教徒から吸収することで、西洋はルネサンスでの飛躍に繋げることができました。西洋文明の発達はイスラム世界のおかげ、といっても良かったはずです。
イスラムへの恐怖
にも関わらず、「神曲」ではイスラム教徒は地獄に堕ちています。特にムハンマドは第八圏第九巣窟で顔を裂かれています。グロいです。またダンテは先ほどのアヴェロエスの考え方にも反発しています。参照しているにも関わらず、です。
そもそもなぜダンテはキリスト教中心の世界を描き、イスラム教やその他の異教を排除しようとしたのでしょうか。
「時代的にそう考えても仕方なかった」
「ダンテの無知がイスラム教徒の迫害を助長した」
これらは西洋中心の歴史観で産まれた意見です。だいたい今日の世界史は西洋人が作ったのだからそう考えても仕方無いのですが本音は違います。
西洋人はイスラムに恐怖しています。
警戒しているなどという上から目線の態度ではなく、はっきり恐れているのです。イスラムの教えが西洋に蔓延したら、必ずキリスト教は飲み込まれ、西洋はイスラム化する。
そもそもキリスト教とイスラム教は兄弟宗教なので似通っていて当たり前なんですが、行動理念や信仰の面から言っても、一神教としての完成度はイスラム教の方が上なんですね。しかも文明のレベルではるかに遅れを取っている。同じ土俵に立ったら、キリスト教はイスラム教に負ける。その自覚があったから何回も十字軍を送りました。
その一方で、文明の発展のためにイスラムの知見を積極的に利用もしています。もちろん表立ってそんなことを言えば、キリスト教の沽券に関わるのでばれないようにやっています。だからイブン・ルシュドもアヴェロエスというラテン語の名前で紹介されています。恐らくですが、彼以外にも大量のイスラム学者がイベリア半島経由でヨーロッパに潜入していたと考えられます。毒を以て毒を制す、じゃありませんけど、さすがはヨーロッパ人。とても強かです。
日本が西洋文明を吸収しながらも必死に日本独自のアイデンティティを模索したように、西洋文明もイスラム文明を吸収しながら必死に独自のアイデンティティを確立したようです。もっとも感謝するどころか迫害を加えたのはまったくいただけないのですが。
ダンテの時代にはプロテスタントはありませんでしたが、プロテスタント化する兆しは「神曲」には含まれていました。地獄のリアリティある情景描写もさることながら、うめき声や聖歌など音に関する描写も多いのです。西洋(主にカトリック)は目の文明で、イスラムは耳の文明です。視覚を前面に押しながらも聴覚も混じり込んでいる、というのが実態です。
「神曲」という邦題は森鴎外の翻訳です。原題から考えると誤訳もいいところなのですが、こうした事情を鑑みるとあながち悪いタイトルでもない気がします。といって鴎外がそこまで神曲を読めていたとは全然思えないのですが。