三位一体教義について
絶賛、「神曲」解説書いている途中なのですが、あまりにも長くなりすぎたのと整理の意味も込めて三位一体教義について簡単にまとめます。
三位一体について、下の記事の中段辺りで説明をしました。
簡単に言いますと、キリスト教の神は父・子・聖霊の三つが一体となっている、という教えです。とても大切な教義です。正直、聖書よりも重要度高いです。なんせこれを外すと異端審問にかけられて殺されるか、追放されますから。
非クリスチャンで日本人の私にはなんで重要なのか分かりません。といってキリスト教徒の方を責めているのではありません。理解できないのは私に信仰心が無いからなのです。
しかし、分からないなりに考えてみると、どうも三位一体は人間の知覚世界を表しているようです。
父(なる神)は脳、子(=キリスト)は視覚、聖霊(=鳥)は聴覚を表しています。この三つが付かず離れずの状態になっているのがキリスト教の神の特徴です。
ところが、1054年に東西分裂が起きておりキリスト教はカトリックとギリシャ正教に分かれてしまいました。
そのとき最大の争点になったのがこの三位一体の解釈です。具体的には、「聖霊は父のみから発するのか、父と子から発するのか」という議論です。
ぶっちゃけ整合性で考えれば正教の方が正しいのです。ただルールが厳しい。正教が力を持った東方ローマは地理的にイスラム圏と近かったのですね。このままではイスラム教の勢いに負けてしまう。
例えば、正教のイコンなんかは平面的で抽象的な絵です。偶像崇拝に否定的だった影響で立体的な彫刻などはありません。
もちろん、イスラムは偶像崇拝否定なのでムハンマドの顔は描きません。
実は正教のやり方だとイスラム教に飲み込まれてしまう危険性があったのです。その危険性に気づいた人々がカトリックになったということが考えられます。結果的に東ローマはオスマン帝国に滅ぼされています。
カトリックの方はより普遍的というか緩いんですね。子=キリストのウェイトが高すぎるせいで視覚と聴覚がごちゃ混ぜになっています。悪く言うとガバガバです。論理に敏感な人はこの辺が許せないはずです。
しかし、メリットもあります。それは「精緻な視覚表現の発展」です。
例えば、ルネサンス期の絵画を見ますと細部まで描写がしてあってリアルです。冒頭のミケランジェロの絵も大変リアルです。
さらに、立体的な彫刻まで創造しています。下の画像はピエタのマリアです。こちらもリアルです。ロダンの彫刻なんかも大変リアルですね。
リアリティある表現、つまり視覚のウェイトが高い。三位一体の中でもキリスト=視覚の存在が強いカトリックならではの文化が生まれました。
ダンテはローマ・カトリックの人なので「神曲」もその一つです。地獄の生々しい描写の数々、楽園の常春のような情景はガバガバ教義の賜物なのです。
それから16世紀に宗教改革が起こり、カトリックが分裂してプロテスタントが誕生します。
とはいえ、プロテスタントはカトリックから分派したので三位一体も同じです。聖霊は父と子から発する。プロテスタントの特徴は聖職者ナシ、聖典重視、偶像崇拝否定なのでかなりイスラム化していますが、そのことについてはまた別の記事で。