ヴァイオレット・エヴァーガーデン2話
ひっそりと放送されてるヴァイオレット。やっぱり世界観が感情移入しにくいのが原因だろう。あと笑いの要素がゼロなのも。
2話のテーマは「言葉の裏と表」
2話では主人公のヴァイオレットと先輩ドールのエリカが対比構造 になっている。理由は後で述べる。
気になったシーンについて
(5分00秒〜)
ヴァイオレットが初めてタイプライターを使うシーン。速く、正確に、機械のようにこなすヴァイオレットにカトレアは「もう少し、静かにね」と注意する。
今回のテーマである「言葉の裏と表」を匂わせるシーン。これによって視聴者は無意識に今回のテーマを理解する。テーマを理解しているからそのあとの展開もなんとなく予測できる。
つまり些細なシーンであるが、こういうのがあると、入り込みやすくなるということ。
(10分10秒〜)
自室でタイプライターを打つ無言のシーン。ランプの灯りが印象的だが、似たようなシーンが1話目にもあった。
↑気になったシーンの(19分52秒〜)参考
短いシーンではあるが、ヴァイオレットがギルベルトを想ってるのが分かる。これは1話目のシーンによって"無意識"に「ランプの灯り」=「ギルベルトへの想い」という図式が視聴者の頭の中で成立するからである。
このように繰り返し連想させる手法は名作と呼ばれる映画ではよく用いられている。
(14分15秒〜)
女の利用客が来る。依頼内容は交際を申し込まれた相手へ気品のあるロマンチックな返信であった。エリカは先ほどのミスを引きずっている。彼女の「愛してる」の言葉に反応してヴァイオレットが書くことになる。しかし、ヴァイオレットは依頼者の意図を理解していない。
このシーンでは理解していないことを軍隊式の敬礼で表現している。
(15分50秒〜)
先ほどの利用客が怒っている。理由はもちろん、ヴァイオレットの手紙。言葉を表面的でしか捉えららないことが原因である。彼女の泣いている理由が分からないヴァイオレット。
(17分17秒〜)
2話目の重要なシーンの1つ。喫茶店でカトレアと会話をしているヴァイオレット。カトレアのセリフに注目。
「言葉には裏と表があるの。口に出したことがすべてじゃないのよ。人の弱いところね。相手を試すことで自分の存在を確認するの…裏腹よね」
「言葉の裏と表」「裏腹」が第2話の隠れたテーマになっている。ヴァイオレットは「裏腹」の意味について考えている。
(19分28秒〜)
雨の中でヴァイオレットがエリカに自分がドールに向いているか尋ねるシーン。
ここでエリカは最初に何を言おうとしたのだろうか。恐らく自分もドールに向いていないと伝えようとしたのだろう。
しかし、ヴァイオレットの態度を見て彼女はこう告げる。「向いていない」と。
なぜエリカは「向いてない」と言ったのだろうか?カトレアのセリフを思い出すと「相手を試して自分の存在を確認する」となっている。
つまりエリカはヴァイオレットを試して本当の自分の気持ちを確認したかったのだ。そしてなぜこの仕事をやりたいのかと問う。
ヴァイオレットは「『愛してる』を知りたいのです」と答える。そして素直にこう続けます。
「知りたいのです。たとえ向いていなくても。私はこの仕事を続けたいのです」
エリカは本当の自分を確認できた。
(20分57秒〜)
ヴァイオレットをクビにしようという話が出る。ここでエリカはヴァイオレットをかばう。そしてヴァイオレットが一言、「裏腹です」
ヴァイオレットが裏腹、言葉の裏と表に気づいた瞬間である。と同時にエリカが自分の裏腹に気づいた瞬間でもある。彼女が本当にかばったのは自分自身だった。
ヴァイオレットは言葉の裏と表を知らない、ストレートな少女である。
そのせいで周りの人間は迷惑をしている。それは女の依頼者であり、カトレアであり、ホッジンズである。
しかし、救われた人もいる。エリカである。エリカは言葉の裏に囚われて自分を見失っていた。だからヴァイオレットの素直な行動を心の中で羨ましく思っていた。本当の自分と彼女を重ねていた。だからヴァイオレットがクビにされそうになったとき思わずかばってしまった。
「言葉には裏と表がある」というのは裏だけでなく、表も大切にしなければならないという意味も含まれていた。これが第2話の隠されたテーマである。
ヴァイオレット↔︎エリカであり、表↔︎裏である。二人が対比になっているのが第2話の特徴である。
ただ対比構造がわかりづらいのはヴァイオレットとエリカの対比を暗示する要素が少ないからである。例えば、ランプの灯りがヴァイオレットの象徴ならば、水がエリカの象徴になっているとかそういうシーンを多く入れることで視聴者の無意識に対比構造が作られていく。対比が弱いから視聴者は何か物足りないとか、なんか難しいなという感想を抱く。
今後、このあたりが改善されるなら評価が上がっていくと思われる。
ちなみに雨が上がるシーン(19分28秒〜)でヴァイオレットに日の光が当たっているが、これは先ほどランプのシーン(10分10秒〜)で象徴されていた「ヴァイオレットの燃えている心」が「雨の水」で弱まったことを暗示している。ヴァイオレットは少しずつ自分の意思で行動し始めていることを伝えたかったのだろう。
<思ったこと>
今後もヴァイオレットのストレートな言動は続いていくだろう。しかし、作品の演出からすると彼女のそんな部分を否定していない。むしろ肯定している。彼女の変わっていく部分と変わらない部分をうまく照らしながら物語は続いていくだろう。
こんな感じで展開がゆっくりな割に密度が濃い作品になっている。ギャグシーンが入る余地は無く、物語の起伏も少ない。見ていて退屈になる。作画は素晴らしいんだけどね。