魔の山 追記その1
「魔の山」では7という数字が鍵を握っている。これは下敷きとなっている神曲煉獄篇(七つの大罪)とファウスト第二部第二幕から来ている。なぜ7という数字が西洋人にとってここまで重要なのか、という淵源については依然として捜索中である。七つの大罪は枢要徳+対神徳が由来かなと思ったがイマイチ対応が悪い。fufufufujitani氏はメソポタミアの七賢人ではないかと、書かれていたが、メソポタミアの見識が足りていないので知っている方がいたら教えてくださると助かります。
ゲーテは第二部第二幕において7=2+5に分類した。「狭いゴシック式の丸天井の部屋」と「実験室」の2章と古代のワルプルギスの夜の5章である。
魔の山は半分くらいファウスト批判である。ループ時間は人間を堕落させるので、契約結んで直線時間に帰ることも大切であると説く。
だからマンは7=5+2に分類した。
最初の第1章〜第5章が上巻、第6章〜第7章が下巻である。第5章のラストは「ワルプルギスの夜」である。最初の5章でワルプルギスやる。批判なのだから構成が裏返しになって当然なのである。
物語全体の時間の流れはだんだん縮んでいると説明したが、細かく見ると伸びたり縮んだりしている。
例えば、セテムブリーニとナフタの議論はものすごく長いページ割かれていて、読むのに時間かかる。しかし、物語内の時間としてはさほど経過していない。会話が多いと時間経過が遅くなる。ちょうどドストエフスキーの作品があまり時間経過してないのと同じである。反対に、情景描写がつづくシーンはあっという間に数ヶ月経つ。トルストイは情景描写に長ける。「戦争と平和」をはじめ歴史絵巻はどんどん時間が進まなければ物語終わらない。
マンはこれらを上手く使いこなして時間の伸縮を表現した。凄いとは思うが、読者からするといい迷惑である。