週休二日〜アニメと文学の分析〜

ネタバレあり。一緒に読み解いてくれる方募集中です。詳しくは→https://yomitoki2.blogspot.com/p/2-510-3010031003010013.html

「魔の山」解説【トーマス・マン】

魔の山」は1924年に発表された長編小説です。第一次世界大戦を挟んで、ドイツ人作家トーマス・マンが10年かけて完成させた代表作です。

魔の山(上)(新潮文庫)

魔の山(上)(新潮文庫)

 

 

原題

魔の山」の原題はDer Zauberbergです。ドイツ語です。英語だとThe Magic Mountainになります。魔の山と聞くと、おどろおどろしく悪魔的ですが、Magicと聞くとポップな感じしますね。

 

 日本語訳のニュアンス→(悪)魔の山

英語訳のニュアンス→魔(法)の山

 (後述しますが、「魔(法)の山」は「錬金術の山」とするのがより適切です)

 

それで、どっちがDer Zauberbergに近いかというとThe Magic Mountainになります。 Zauberも「不思議な」という意味です。同じヨーロッパの言語ですから当たり前ですね。

 

しかし、個人的には「魔の山」という日本語訳もこの作品にふさわしいと考えています。魔法の山であり悪魔の山でもある、ということを踏まえていただくのが読解の第一歩になります。

 

長い、読みにくい、うんちく満載

Question Mark Shape Bokeh Backdrop : ストックフォト

難解として知られる作品ですので一回読んだだけでは理解するのは難しいです。が、そもそも一回読み切るのも難しいです。原因はたくさん考えられます。固有名詞の頻出、長ったらしい文章、いつまでも終わらない議論、緩慢なストーリー展開、、、挙げたらキリがありません。面白い箇所を見つける方が難しいです。あったとしても極々少量です。

 

試しに冒頭の一文を引用してみます。

 ここに物語ろうとするハンス・カストルプの話——これはハンス・カストルプのためにするのではなくて(やがて読者もおわかりになるであろうが、彼は人好きはするが単純な青年にすぎない)、ごく話し甲斐のありそうな話そのものためにするのである(もっとも、これが彼の話であること、そして誰にでもそれぞれの人なりのおもしろい話がもちあがるわけのものではないということ、これはハンス・カストルプのために言っておかねばならない)。

魔の山 上巻 トーマス・マン 高橋義孝訳 新潮文庫

 長い、長い。たった一文でこの長さ。しかもまどろっこしい。

 

そして、名作度と面白さは往々にして比例しません。だいたい芸術なんてそんなものです。だから「魔の山」を読んでつまらないと感じるのは自然なことです。というか作者は意図的につまらなく書いています。グダグダとダラダラと感じること自体は、作者の込めたニュアンスに沿っているから問題ないのです。

 

問題は「難解なのが良いんだよ」「つまらないのが逆に面白いんだよ」と認知を歪めてしまうことです。作者はわざと冗長に、緩慢に感じてほしくて書いています。それを快感であると思い込んで神聖化すると理解から遠のきます。「正直よく分からんけどトーマス・マンだから凄いのだろう」という結論に帰結します。

 

もう死んで久しい作家の作品です。素直な感想を包み隠さず読み進めていきましょう。

魔の山 [DVD]

魔の山 [DVD]

  • 発売日: 1999/03/25
  • メディア: DVD
 

 映画化されています。日本で売られているのは2時間半ダイジェスト版ですがドイツ版本編は5時間半もあるそうです。見る必要ありません。正直タルいです。有名な「雪」のシーンがあるのですが、セットがチープで萎えます。既に読破した者が確認で鑑賞する程度です。

 

それでは、あらすじの説明からはじめます。

 

あらすじVer1

Germany - Berlin - Berlin: Maxim-Gorki-Theatre ; play: The Magic Mountain (Der Zauberberg) by: Thomas Mann. director: Stefan Bachmann. premiere: 27. September 2008actors: Gunnar Teuber, Miguel Abrantes Ostrowski, Marek Harloff (Hans Castorp), Ruth Re : ニュース写真

主人公ハンス・カストルプが結核患者である従兄弟の住むサナトリウムへ赴きます。滞在するうちに自分も結核だと診断されて、そのまま山の上の人々と食べたり議論したりして過ごします。やがて7年が経過すると山を下りて、ハンスは第一次世界大戦へ従軍します。

 

おしまいです。我ながら綺麗にまとめられました。長編の割に大したことはしてません。表面的なストーリーはだいたいこんなもんです。

しかし、内容を深く吟味しようとすると難解かつ複雑で大変です。一つずつ構成要素を解きほぐしていきましょう。

 

ヒントは冒頭にあり

 冒頭、物語が始まる前に「まえがき」が書かれてあります。恐らくあとで足したものです。マンもさすがに難解しすぎたと思って、ヒントを残してくれました。

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この時点ですでに難しいのですが、内容ざっくり凝縮すると

1、7という数字が重要になってくること

2、この物語は過去であり、時間の二重性が主題であること

の2点になります。

それぞれ構成要素に関わってくるので覚えておいてください。

 

あらすじVer2

 Hiking in the mountains of Wakayama, Japan : ストックフォト

ハンス・カストルプはいとこのヨーアヒムのお見舞いのために、山地のサナトリウムに向かいます。汽車の窓から見える森の景色はひどく暗く鬱々としていました。

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サナトリウムでの生活は自由気ままで、ハンスは食事を楽しみ、本を読んで、眠って思う存分謳歌します。

食事は食堂にある七つのテーブルで食べることになっています。テーブルごとにグループが形成されています。高校生なんかが、仲の良い固定メンバーでお弁当食べるのと似てますね。

 

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ベルクホーフの人々はみな個性的ですが、特に、気になる人物が二人います。イタリアの文士セテムブリーニとロシアのショーシャ夫人です。セテムブリーニはハンスの教育係で、ショーシャはハンスが惚れた人妻です。

 

そうこうするうちに3週間の滞在のはずが、ハンスも結核と診断されます。ハンス内心嬉しそうです。モラトリアム万歳。

 Teenage girl walking out the front door of her house. Back view of her leaving the house. She is on her way to school, wearing a back pack and holding the door open. : ストックフォト

滞在から7ヶ月目のある日、謝肉祭の夜がやってきます。みんなコスプレをしてパーティーを楽しみます。テンション上がってはしゃいでいます。ハンスも釣られてテンション上がります。ついにショーシャ夫人に声を掛けます。さらに思い切って告白しますが、振られます。ショーシャはサナトリウムを去ります。

(第1章〜第5章 上巻 終了)

 

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下巻から新たな人物が登場します。セテムブリーニの論争相手ナフタです。セテムブリーニとナフタの議論を聴きながら、ハンスとヨーアヒムはサナトリウムで治療(という名の食っちゃ寝生活)を続けます。

 Father and daughter on sofa : ストックフォト

その後、医者の制止も聞かず山を下りたヨーアヒムが、すぐに戻ってきてそのまま死んだり、ショーシャが男を連れて戻ってくると、奇妙な三角関係ののちに、男が自殺したり、色々なことを経験しつつ堕落した生活を送ります。

 

三年目以降は、奇妙なオカルトでヨーアヒムを降霊させたり、蓄音器で音楽聴いたり、セテムブリーニとの決闘でナフタが自殺したりして7年の時を過ごします。

 第一次世界大戦 塹壕による長期化 | 趣味での独語

7年が経過すると、第一次世界大戦で世界は混乱に包まれていました。ハンスも召集されます。駅のホームで涙ぐむセテムブリーニと別れると、地獄と化した戦場の森で突撃していくハンス・カストルプの姿が見えます。生きて帰れる見込みは薄いです。さようなら、ハンス・カストルプ。

 

(第6章〜第7章 下巻 終了)

 

ハンスは最初24歳でしたが7年経つと31歳になります。冷静に考えると、長すぎるモラトリアムですね。

 

構成要素1:神曲 煉獄篇

 「魔の山」はダンテの「神曲 煉獄篇」を下敷きにしています。

dangodango.hatenadiary.jp

神曲」はイタリアの詩人ダンテが書いた作品で、地獄、煉獄、天国の三部作で構成されています。西洋文化の中でも最重要な古典の一つです。今回マンが取り上げたのは煉獄篇です。詳しくは上記記事を参考なのですが、以下の二つのことだけは最低でも知っておく必要があります。

 

①煉獄山

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引用:http://www.myllyteatteri.fi/Node/117

煉獄山は天国と地獄の中間施設です。大まかに七つの階層に分かれていて、そこで贖罪者が罪を清めています。ダンテは頂上にいるヒロイン・ベアトリーチェと会うために、伝説の詩人ウェルギリウスに導かれて山を登っていきます。

 

ここで覚えてもらいたいのは煉獄山の構造です。

画像の通り、各フロアは円形状で上に行くほど先細りになっています。また頂上には地上楽園という常春の草原のような景色が広がっています。

 

七つの大罪

 七つの各フロアでは、それぞれ七つの大罪を贖います。

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第一冠に始まり一定時間贖罪をすると上のフロアに登ることができます。最終的に七つの大罪すべてを贖うと山頂の地上楽園に入ります。犯罪者が懲役に入って年数経ったら出所できるのと同じです。

 

魔の山」で煉獄山に対応するのはアルプスにあるサナトリウム「ベルクホーフ」です。「(悪)魔の山」とは煉獄山のことだったんですね。

 

魔の山」で七つの大罪に対応するのは「七つの食卓」です。

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食堂のテーブルは全部で7つあります。テーブルに座るメンバーはある程度固定されていて、ハンスは一年周期でそれぞれのテーブルを回っていきます。

 

ちなみに、「最初は3週間の滞在だった」というのも3×7=21で煉獄篇の3×7構造を模しています。全体構成に取り入れるほどのガッツは無かったようですね。

 

yomitoki2.blogspot.com

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引用:http://yomitoki2.blogspot.com/2014/10/28.html

煉獄篇と魔の山の対応表を上記サイトから引用させていただきました。合わせてどうぞ。

 

 

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一応、主要キャラも対応しています。

 

ハンスが序盤のベルクホーフへ向かう車窓から見える鬱蒼とした森の風景は、地獄篇冒頭の「道半ばにして暗き森をさまよう」に対応しています。

またハンスの部屋が34号室なのですが、地獄篇は全部で34歌です。つまり物語は地獄篇終了後を描くということです。

 

セテムブリーニはイタリアの文士で、頼んでもないのにハンスの導き手になってくれます。彼はベルクホーフという煉獄山を案内するウェルギリウスです。

 

ショーシャはベアトリーチェです。これはセテムブリーニもからかい半分で指摘します。主人公と出会った直後、冷たい態度で接するのも似てますね。

 

他の登場人物も奇妙な行動を取る人が多く、煉獄の住人を彷彿とさせます。シュテール夫人といういつも発音がおかしい女性が出てきますが、ダンテがトスカーナ方言つまり俗語で執筆した、というのを踏まえれば無駄な描写ではないということが分かります。

 

構成要素2:ファウスト第二部第二幕

 「魔の山」の元ネタはもう一つあります。ゲーテファウスト」です。

note.com

 しかし、ファウスト全編を下敷きにしている訳ではありません。参照しているのは「古代のワルプルギスの夜」が出てくる、第二部第二幕です。

 

鍵となる数字「7」

 七つの大罪が出たように煉獄篇では7が重要な数字でしたが、ファウスト第二部第二幕は全7章で構成されています。

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2156129037898203701?page=2

神曲 煉獄篇」と「ファウスト(第二部第二幕)」が7という数字を介して繋げているのです。部分的にではありますが。

 

キャラ戦略

このように「ファウスト」の影響が強い「魔の山」ですが、キャラクター配置も同様です。下記の表は登場人物一覧表です。

 

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ただし、主人公ハンスに対応するのはファウストではありません。第二部に登場する人造人間ホムンクルスです。セテムブリーニは作中で仄めかされているようにメフィストフェレスです。また、いとこのヨーアヒムはヴァレンティンです。

 

実はこのキャラ配置、ドストエフスキー「悪霊」が元ネタです。

note.com

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引用:https://note.com/fufufufujitani/n/n0eaf0945da0d?magazine_key=m455b32f0875f

上の表の通り、悪霊はファウストを下敷きにしています。その悪霊をドイツ人のマンが下敷きにします。ドイツとロシア、二つの国による一大キャラ戦略プロジェクト、それが「魔の山」なのです。

 

みんな2人1組なのに、ホムンクルスが一人だけというのも継承しています。マンが「悪霊」を読み込み、その奥底にファウストがあることを理解している証拠です。彼、ドスト好きみたいですね。

 

ハンス・カストル

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ハンス・カストルプは造船会社に内定しているエンジニアの卵です。おしゃべりで、うんちく好きで、その割に中立的です。作中で何度も繰り広げられる議論でも一貫してニュートラルな立場を取ります。

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ショーシャ夫人へ愛の告白するシーンでは、彼女の肉体が欲しいと言い、跪いて膝にキスさせて欲しいと懇願します。初めての会話でいきなり告白しちゃうのです。若いというか拗らせてますね。結局、振られてショーシャは山を下りてしまいます。

 

あと理屈っぽいせいなのか男らしくありません。ショーシャ夫人が男を連れて戻ってきた時も、嫉妬するどころかその男をリスペクトする始末です。そんな彼を見てショーシャは少しやきもきします。

 

主人公ハンスはホムンクルスと対応しているのですが、ホムンクルスについての説明を引用します。

蒸留器に人間の精液を入れて(それと数種類のハーブと糞を入れる説もある)40日密閉し腐敗させると、透明でヒトの形をした物質ではないものがあらわれる。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し、40週間保存すると人間の子供ができる。ただし体躯は人間のそれに比するとずっと小さいという

ホムンクルスは、生まれながらにしてあらゆる知識を身に付けているという。また一説によるとホムンクルスはフラスコ内でしか生存できないという。

 

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9

 

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引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Faust_image_19thcentury.jpg

ファウスト」でも科学者ワーグネルがホムンクルス生成に成功します。

 

 ここで「魔の山というタイトルは魔法の山という意味である」ことを思い出してください。

魔法とは錬金術のことです。ホムンクルスがフラスコに一定期間、密閉されることで誕生するように、ハンス・カストルプもサナトリウムに密閉されることで人間として成長します。

現に、ハンスはサナトリウムに到着してから従軍するまで一度も途中下山をしておりません。

 

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引用:https://livedoor.blogimg.jp/mement_mori_6/imgs/7/0/7028b387.jpg

そういえば、フラスコも先細りで断面が円形ですね。煉獄山の形状と似ています。魔の山とは煉獄山でありフラスコでもあるようです。錬金術は近代化学の基礎になりましたから、ある意味宗教と科学が合体していると言えます。

 

ホムンクルスはワーグネルの錬金術で誕生し、ファウストともにタイムリープして古代ギリシアの海に沈んで死にます。

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詳細なホムンクルスとハンス・カストルプの対応表(ついでに悪霊のキリーロフも)です。

かなり「文学的に」言い換えられています。

ホムンクルスは精神だけの光の玉の状態で肉体を手に入れて人間として出来上がりたいと願っています。つまり半人前です。セテムブリーニがハンスを指して言う「人生の厄介息子」とは半人前だということです。

また、ホムンクルスもハンスもおしゃべりです。よくしゃべるのをセテムブリー二(メフィスト)に咎められます。

 

ヨーアヒムとペーペルコルン

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ヴァレンティンはファウストの恋人グレートヘンの兄です。職業は軍人です。妹をたぶらかしたファウスト(とメフィスト)に挑んで死にます。直線的な熱血タイプです。実はヴァレンティンはファウストの全編の中で出番が少ないのです。

 

ヨーアヒム

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ヨーアヒムはハンスのいとこで、軍人見習いの好青年です。結核と診断され、サナトリウムで療養しています。軍務を全うできていないことにフラストレーションを感じています。ハンスが彼を見舞うことから物語は始まります。物語後半で、軍人の夢を捨てきれず、なかば強引に退院してしまいます。結局、症状を悪化させて舞い戻ってきて程なく死んでしまいます。普段は静かで議論に参加しませんが、直線的な熱血タイプです。

 

ちなみに、6-8のタイトル「勇敢な軍人として」はヴァレンティンの最期の言葉から来ています。

 

ペーペルコルン

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ヨーアヒムの死後つまり第七章から登場するのがペーペルコルンです。老人ですが恰幅が良くてカリスマ性があります。ショーシャの愛人です。

 

ハンスから軍人的だと評されます。また本来恋敵であるはずですが、なぜかハンスは好意的に接します。これもヴァレンティン族つまりヨーアヒムと同じ属性だからですね。

 

ちなみにモデルはノーベル文学賞取った劇作家のハウプトマンだそうです。マンの先輩ですね。

 

セテムブリーニとナフタ

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悪魔メフィストフェレスファウストと契約を結んで彼の魂を奪おうとします。その代わりファウストの願いはドラえもんばりに何でも叶えてくれます。

 

 セテムブリーニ(あんまり似てないです。。。)

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セテムブリーニはイタリアの文士で、フリーメイソンに所属しています。ハンスに負けず劣らずの議論好きです。ハンスを「人生の厄介息子」と呼んで導き手になると宣言。お節介ですね。進歩的な知識人で、自由や理性を愛し、民主主義を擁護します。つまりリベラル派です。キャラ濃いですね。。。

 

セテムブリーニはメフィストのようにからかってきますが、基本的にウェルギリウス役としてハンスを導いてくれます。

 

ナフタ

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 ナフタはオーストリア生まれのユダヤ人で、イエズス会に所属している神父見習いです。醜い小男ですがもっと印象的なのはその思想です。非合理主義を唱え、「拷問は理性的」と主張し、テロによる神の国の樹立望みます。危険です。かなりの危険人物ですが、セテムブリーニと論戦できるくらいの知性の持ち主です。二人の議論が良くも悪くもこの作品の特徴です。

 

意外にも登場するのは第6章からです。下巻からの登場のわりに存在感が凄いです。セテムブリーニよりナフタの方がメフィストっぽいかもしれません。

なんやかんやあって、セテムブリーニと決闘して自殺します。

 

 ショーシャとヒッペ

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ガラテアはファウスト第二部「古代のワルプルギスの夜」に出てくる女神です。海神ネーレウスの娘で年に一度だけ父親と邂逅しますが、すぐに去ってしまいます。それを見たホムンクルスは彼女の足元の海に溶け込んで、人間へ進化しようとします。

 

ショーシャ

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本作のヒロインです。

ロシア人の既婚者で、ハンスは彼女に激しく惹かれます。ロシア人といってもヨーロッパ系ではなくアジア系の顔立ちです。作中で何度も「タタール人に似た」「キルギス人のような眼」と形容されます(キルギス人は日本人とよく似てますね、関係ないですけど)。つまり、「悪霊」のリザヴェータと同じくアジア的世界観の女性、つまり円環時間の象徴です。

 

また、ショーシャは人妻である点からヘレネー要素も含まれています。ヘレネーは古代ギリシャの美女で、人妻でしたがファウストが略奪。その後ファウストとの子供が事故死すると冥界へ行きます(=死)。

 

ヒッペ

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ヒッペはハンスが幼い時に一度だけ鉛筆を借りた男の子です。鉛筆の貸借以外にこれといった思い出はないのですが、目がショーシャによく似ていることが判明します。ヒッペは鉛筆を貸したあと、すぐに転校してしまいます。

 

ショーシャとヒッペは目が似ているのもありますが、「主人公と出会ってすぐ別れる」という特徴を持ちます。そして、これはガラテアの属性を引き継いでいると言えます。

 

ベーレンスとクロコフスキー

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ワーグネルは科学者でファウストの弟子です。彼はホムンクルスの生成に成功します。つまりホムンクルスにとっては父親に当たる人物です。

ベーレンス

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 ベーレンスはベルクホーフの顧問官、つまりサナトリウムの院長である医師です。ハンスは彼を「父親的権威」と呼びます。ホムンクルスの父親ですから、彼はファウストの弟子の科学者ワーグネルです。父親ですから、ハンスに対して時に厳しく、時に情けをかけて接します。

 

クロコフスキー

クロコフスキーも医師で、精神分析や愛についての講演をしています。第7章でエレン・ブランドという少女に接する態度が父親のようだと描写されます。

 

疲れてしまったので、以降は割愛します。

 

スピンオフ

ホムンクルスもヴァレンティンもメインキャラではありますが主役ではありません。あくまでも脇役です。このことについて、冒頭と結末に暗示している部分があります。

冒頭から引用

ここに物語ろうとするハンス・カストルプの話——これはハンス・カストルプのためにするのではなくて(やがて読者もおわかりになるであろうが、彼は人好きはするが単純な青年にすぎない)、ごく話し甲斐のありそうな話そのものためにするのである(もっとも、これが彼の話であること、そして誰にでもそれぞれの人なりのおもしろい話がもちあがるわけのものではないということ、これはハンス・カストルプのために言っておかねばならない)。

魔の山 上巻 P.9 トーマス・マン 高橋義孝訳 新潮文庫

これはさきほども引用しました。

 

7-10から引用

 さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子。君の物語は終った。私たちは君の物語を語り終えた。短くも長くもない、錬金術的な物語だった。私たちは物語のために話したのであって、君のために話したのではなかった。なぜなら、君は単純な人間なのだから。だが、考えてみればこれは結局君の物語であった。

魔の山 下巻 P.789~790 トーマス・マン 高橋義孝訳 新潮文庫

冒頭と結末で同じような内容の文章が出てきます。ということは作者が伝えたいメッセージであるということです。 

 

言い換えます。

 

「さようなら、ホムンクルス、半人前の息子。君の物語は終わった。短くも長くもない、フラスコの中の君が生成されるまでの錬金術的な物語であった。私たちは『神曲』や『ファウスト』を下敷きにするために君を主役にしたのであって、君はあくまでも脇役に過ぎなかった。なぜなら、君はホムンクルスなのだから。だが、考えてみれば『魔の山』は結局ホムンクルスが主役の物語であった。」

 

ファウスト」は主人公ファウストのための物語であってホムンクルスのためではありません。

古今東西、スピンオフは盛んに行われているようです。踊る大捜査線シリーズもあとから「交渉人真下正義」とか「容疑者室井慎次」とか作っていました。

 

そしてスピンオフをやる上で注意しなければならないのは、原作の主要キャラをあまり出しすぎないことです。 「交渉人真下正義」「容疑者室井慎次」に織田裕二が出てきたら観客はそっちに目が移ってスピンオフの意味なしです。ほんのわずかな程度の範囲でしか登場させないのが鉄則です。

 

魔の山」でも、主役ファウストに当たるキャラは登場しませんし、グレートヘンはかなりの脇役です。

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「悪霊」と同様に死んでいくキャラが多いです。

 

章立て表

 ここで章立て表を確認します。

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導入と7-1海辺の散歩は、物語から脱線しているので青で示しました。導入は物語を解くヒント、7-1は時間と空間に関する論考になっています。


長編は往々にして、構成が緩くなるコントロールが効かないものですが、マンも例外ではなかったようです。

しかし、部分的に構成にこだわっている箇所ありますので、次の項目で説明します。

 

ワルプルギス・ループ

ワルプルギス・ループは、ファウスト第二部第二幕のループ構成のことを便宜上、そう呼んでおきます。

 

ワルプルギス・ループは全部で7回あります。1年に1回のペースで発生します。それぞれ見ていきましょう。

 

1年目

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第二部第二幕は話の流れでループ時間を表現しています。

第二幕全体で理論の流れを見てみましょう。

1、若いものは年寄りより進歩していると思っている。
2、研究者が人造人間を作る
3、生まれたての人造人間はファウストメフィストと一緒に古代世界にタイムトリップする
4、人造人間は「人間として出来上がりたい」と希望して、古代の海に溶け込んで消える。その後時間をかけて人間になると思われる。

引用:https://note.com/fufufufujitani/n/n105415e6658f?magazine_key=m455b32f0875f

となっています。マンはこれを応用してワルプルギス・ループを作りました。

 

5-7でハンスは生理学などの科学の専門書を読みます。本文でも科学的記述がつらつらと続いて読みづらいですが、読んでいくと何だか賢くなってきている気がします。ハンスも科学の最先端を知ったと思って増長します。

 

5-9で増長しまくったハンスは謝肉祭の夜、セテムブリーニに皮肉を言って反発します。ここがメフィストフェレスと増長した学生に対応しています。

 

謝肉祭の夜はみんなコスプレして妖艶な雰囲気出ていて、ファウスト第一部の「ワルプルギスの夜」を彷彿とさせますが、これはフェイクです。

 

ハンスはセテムブリーニの制止を聞かず、ショーシャの方へ向かいます。ガラテアとホムンクルスの邂逅、すなわちループ時間が強まります。

 

ショーシャにゾッコンのハンスは、意を決して彼女に話しかけます。割と素っ気ない対応をするショーシャですが、ハンスの心は舞い上がります。会話が進むにつれ、感情は極限まで高まっていきます。

 

が、ショーシャは次の日にサナトリウムを去ることを告げます。出会ったばかりなのにもうお別れです。やけっぱちになったハンスは愛の告白をします。彼女に跪いて「君の肉体が欲しい」「死なせてくれたまえ」などと口走ります。恋愛慣れてないのでしょう。当然彼は振られますが、去り際に「鉛筆忘れずに返してね」とショーシャが呟きます。

 

これらはショーシャのガラテア要素が前面に出たシーンです。

 

また前段階としてハンスが夢で見たヒッペとの過去があります。

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すぐ去るのと約束を結ぶあたり、ショーシャと対応しているのが分かります。

 

2年目

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2年目に入っても植物学的記述やセテムブリーニとナフタの議論でハンスはどんどん知識を身に着けて増長していきます。

 

ヨーアヒムとの別れのあと、6-7雪でハンスはスキーに出かけます。死への親近感から奥に進んでいって遭難します。吹雪が吹き荒れる中、彼は夢を見ます。古代ギリシャの海辺のようです。健康的な若者たちが笑い合っている幸せな風景です。

 

後ろを振り返ると、神殿が立っています。中にはいっていくと母娘の像があり、さらに進むと、炎の中で醜い老婆が胎児を貪り食っています。ハンスは気分が悪くなり、目を覚まします。そして、死の危機を脱してサナトリウムに戻っていきます。

 

ここで、二人の老婆とはセテムブリーニとナフタを指します。となると胎児はハンス自身です。章全体の流れを考えると、二人の議論は結局どうどう巡りで答えなんてない、ということを言いたいのだと思われます。

 

3年目

ヨーアヒムの死後、ペーペルコルンがショーシャを連れて登場します。コーヒー園を営むオランダ生まれの老人です。

 

ペーペルコルンはそのカリスマ性でサナトリウムの支配者に君臨します。セテムブリーニとナフタは得意の議論で対抗しますが、彼の演説の前に面目を潰され存在感を失います。

 

ハンスは恋敵である彼とバチバチすると思いきや仲良く接します。

 

 

 

4年目

7-6巨大なる鈍感

ハンスはベーレンスにと診断されます。そこから医学的記述がしばらく続きます。

 

サナトリウムで周期的に流行するゲームについてです。

 

5年目

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7-7ではベーレンスが蓄音機を持ってきました。この当時最新の蓄音機です。ベーレンスはワーグネル役なので、この蓄音機はホムンクルスということになります。蓄音機なので登場人物一覧表には載せませんでした。

 

蓄音機はもちろんレコードをセットして回すことで音楽を流します。音楽にはもちろん肉体どころか物質はありません。となると正確には、音楽=ホムンクルスの精神、レコード=ホムンクルスの光、蓄音機=フラスコということになりますね。そこまで考える必要ないかもですけど。

 

6年目

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7-8では降霊体験についての話です。かなりオカルト染みてて読むに耐えないですが、錬金術もオカルトの部類なので仕方ありません。

7年目

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7年目は7-9立腹病です。

サナトリウムで喧嘩が流行ってます。些細なことで殴り合いが起きたり、悪口合戦が勃発します。いつも議論しているセテムブリーニとナフタも例外ではありませんでした。

 

科学に意義に関する議論で、ナフタはセテムブリーニを小馬鹿にします。そのくらいなら日常茶飯事なのですが、そこからテンション上がりすぎて二人は決闘の約束をします。やりすぎです。いつもハンスと傍観しているフェルゲとヴェーザルもセテムブリーニとナフタの陣営に分かれて、決闘の準備をします。ハンスだけが中立です。

 

決闘前にセテムブリーニは「決闘は原始的」と言います。科学の進歩を扱った高尚な議論の決着は原始的な決闘に委ねられます。ここでは二人の対決方法がループしています。

 

いよいよ二人はピストルを構えて対峙します。しかし、セテムブリーニは空に向けて弾を放ちます。さすがは理性の象徴、最後は正気に戻ります。

 

ナフタは彼に「卑怯者!」と「きわめて人間的な叫び」をします。そして自分の頭にピストルを打って死にます。

 

この「きわめて人間的な叫び」と形容するのには理由があります。「悪霊」においてピストル自殺するのはキリーロフです。キリーロフは自殺する着前、動物化します。ここでナフタはキリーロフ=ホムンクルスとなっています。

 

しかし、ナフタは動物化しませんでした。過激な思想の持ち主ではありましたが、イエズス会士として神への信仰を最後まで失いませんでした。これがキリーロフとの違いです。

 

もっとも自殺したことには変わらないのです。だからセテムブリーニは嘆きます「これが神への愛からなされたことか」と。

 

ループの失敗=煉獄山を登る

合計7回のループを見てきましたが、いずれも最後は失敗に終わります。そして次の年のループが始まり、また失敗して、、、とループは完成しません。

 

「悪霊」が円環時間と直線時間のどちらとも結論出せなかったように、「魔の山」もどちらが良いのか結論出せませんでした。そうしてマンが苦肉の策として考えたのが二つの時間観の折衷でした。具体的には「螺旋状に上がっていく」時間です。

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引用:http://w3e.kanazawa-it.ac.jp/math/physics/category/mechanics/motion/rotational_motion/henkan-tex.cgi?target=/math/physics/category/mechanics/motion/rotational_motion/helical_motion.html

ダンテは煉獄山を右回りに螺旋状に上がっていきます。螺旋状なので、回りながらもループは完結せず上に登っていくことになります。真上から見ればループしてますが、上に向かって直線的に歩みを進めている、とも捉えることができます。なかなか賢いアイデアですね。

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引用:有元利夫 / 『花降る日』(1977) 三番町小川美術館蔵

構成要素3:時間の伸び縮み

 

作中で「時間の伸び縮み」という現象が頻繁に出てきます。数分の会話を何十ページにも渡って続けると思えば、たった数行で何ヶ月も経っていたりします。

 

もっと具体的に言うと、一年経つごとに時間の縮みが増す、つまり時間の流れが速くなります。

 

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一年目は1-1から6-3まで(上巻丸々プラス下巻166ページまで)

二年目は6-4から6-8まで

三年目は7-2から7-5まで

四年目は...

 

というように一年に対してかける章数がどんどん少なくなります。細部では時間が伸び縮みしてますが、物語全体で見ますと時間はどんどん縮んでいくことが分かります。

普通、七年間描くとしたら、一年に割く量はそれぞれ均等になるようにします。その方がバランスが良いからです。

 

このことについて、説明しているのが7-1「海辺の散歩」です。物語の途中で、唐突に時間論が展開されます。読者が混乱しないようにわざわざページを割いてくれています。しかし、書き方が難解なので読んでもよく分かりません。ありがた迷惑とはこのことです。

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 要約すると

1)物語には内容時間と鑑賞時間の二種類があり、二つは必ずしも一致しないこと

2)ここから先、ますます時間感覚が狂って、物語内の時間、何年目の何月であるか明記しないから注意すること

3)海辺のような単調な空間では、時間と空間の区別が消滅して、運動が運動でなくなれば時間もなくなってしまうこと

 

が述べられています。

 

1)~3)について説明していきます。

 

1)物語には内容時間と鑑賞時間の二種類があり、二つは必ずしも一致しないこと

こちらが冒頭の「時間の二重性」を指します。内容時間と鑑賞時間の違いについて、例を挙げてみます。

 

例:主人公の高校生活3年間を描く2時間の映画

内容時間=3年間

鑑賞時間=2時間

 

鑑賞時間は見てる側の時間なので、メタっぽいですね。こういう感じで両者は必ずしも一致しません。というか一致しないのがほとんどです。

他にも、

「一夜のうちに夢の中で何百年の歴史を体験する」なんかだと

内容時間=何百年

鑑賞時間=一夜

となります。

 

youtu.be

 

ちなみに、音楽、特に器楽曲には鑑賞時間しかありません。音楽に明快な意味など存在しないので内容時間がないのです。確実に言えることは「鑑賞者が一定時間拘束されたこと」です。3分のワルツなら3分の時間、ブルックナー交響曲第九番なら約1時間の時間、ジョン・ケージ4分33秒なら4分33秒の時間、鑑賞者は拘束されます。

 

小説なら読者によって読むスピードは異なりますし、栞を挟んで次の日に回すこともできます。つまり、鑑賞時間が生じるのです。

note.com

(というようなことを書かれているのがfufufufujitani氏のコミュニケーション・サークル論です。興味のある方は是非)

 

2)ここから先、ますます時間感覚が狂って、物語内の時間、何年目の何月であるか明記しないから注意すること

物語開始当初は「今は8月で~」とか「1年目の冬が~」とか書いてくれていたのですが、第6章からだんだん少なくなり、滞在してからどのくらい経ったのか分からなくなり、7-1以降は明記しなくなります。「三週間が経過して~」「何か月か過ぎて~」のような曖昧な記述しか書かなくなりますので、読者は時間経過が把握できずに混乱します。そして、7-10でいきなり「七年間、ハンス・カストルプはここの上にいた。」という文章にぶつかるのです。

 

作中でハンスは時間感覚が狂っていくのを感じますが、実は読者の時間感覚も狂わされていくのです。

 

 

3)海辺のような単調な空間では、時間と空間の区別が消滅して、運動が運動でなくなれば時間もなくなってしまうこと

これはアインシュタインの「相対性理論」を指しています。

なんで「相対性理論」を出してくるのか、というと煉獄山が上に行くほど先細りになる構造をしているからです。各フロアが円形になっているのを、「魔の山」では一年周期という円環で喩えています。同じ一年間を描くにしてもページ数を減らせば、サイクルが短くなる=円が小さくなります。物語の内容時間は一緒でも鑑賞時間が減っているのです。

 

「時間の伸縮は分かったけど、煉獄山の構造(=空間)と滞在期間7年(=時間)は別物だから比喩として間違っているんじゃない?」

 

という鋭い質問が飛んできそうです。

ここで、アインシュタインの「相対性理論」を思い出します。

 相対性理論の話を始めると長くなってしまいますので、ざっくり捉えると

特殊相対性理論

→止まっている人から見ると、光速で動いている人の時計が示す時間は遅れている

 →時間は観測者ごとに存在する

→時空(=時間と空間の一体化)は観測者の運動状態によって、伸び縮みする

 

一般相対性理論

→重力も時間を遅らせる原因

→重力は地球の中心から離れるほど弱くなる

→例えば、地上の時計はエベレストの山頂の時計と比べて遅れている

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引用:http://www.myllyteatteri.fi/Node/117

相対性理論に則ると、煉獄山の山頂に近づくほど時間の進みが速くなる、つまり時間は縮んでいることになります。物理学を援用することで、煉獄山の構造を巧みに表現しています。まさに、時間小説(Zeitroman)と呼ぶにふさわしいです。

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もちろん、舞台となっているスイスのダヴォスは標高1500mくらいなので、相対時間はほぼ生じませんが、「文学的表現」ということで勘弁していただければと思います。

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 アインシュタインユダヤ人です。そういえばナフタもユダヤ人でした。前者は科学者、後者は宗教家。ナフタは科学を「無神論的似非宗教」と徹底的に批判します。特に、宇宙の神秘を解明する行為はニヒリズムに陥ると警鐘を鳴らしています。まあアインシュタインも「宇宙的宗教感覚」を持っていたようですし、そもそも神学が無ければ科学の進歩もなかったでしょう。

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二元論

魔の山」には二項対立が大量に出てきます。その中でも重要なのは「精神と肉体」の二項対立、二元論です。

 

二元論というと「トニオ・クレーガー」を思い出しますね。

dangodango.hatenadiary.jp

 火の中から生まれたホムンクルスには肉体がなく精神だけの光の玉の状態です。タイムリープして肉体を欲してガラテアの足元に沈んでいきます。火と水の二項対立です。

 

これ以外にも様々な二項対立が大量に出てきます。あまりに多くて紹介しきれませんが、ハンス・カストルプがトニオ・クレーガーの変化形であることは確かです。

 

みんな実はホムンクルス

ワルプルギス・ループの考え方でいくと、途中下山して死んだヨーアヒム、自殺したペーペルコルン、人間的な叫びを放って頭に弾丸を撃ったナフタ、みなホムンクルスということになります。

 

そもそもサナトリウムの人間は結核を患っています。この当時結核は不治の病ですので、みな死に瀕している状態です。ホムンクルスには肉体がありませんでしたが、患者の肉体も存在はしますが危機的状況にあります。

 

さらにメインキャラほぼ全員がホムンクルスと共通点を持っています。

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散々「人生の厄介息子」と説教していたセテムブリーニも百科事典を作成中の半人前です。ヨーアヒムは途中下山した、つまりまだ不完全なのにフラスコから出てしまったために死にます。ホムンクルス生成失敗です。

 

それぞれ目標は違えど、一人前になろうともがいていた点ではホムンクルスなのです。夢半ばで病に倒れた魂たちなのです。スピンオフの項目で述べた通り、「『魔の山』は結局ホムンクルスが主役の物語だった」となるわけです。

 

例外は、ショーシャとベーレンスですが、彼らはガラテアとワーグネルなので該当しないのでしょう。

 

もっとも、これだとキャラ戦略が複雑なりすぎて効果が薄くなってしまいます。現にドストエフスキーほどの引き込まれる感じありません。秀才が天才の真似をして失敗した、というのが実態でしょう。

 

 第一次世界大戦

ベルクホーフは国際色豊かな施設で登場人物の出身も様々です。

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 イタリアのセテムブリーニとオーストリアのナフタが議論の末、決闘をします。大戦前、イタリアとオーストリアは領土問題を起こしていました。

 

その他、対応を考えれば当時のヨーロッパ情勢が見えてくると思われますが、限界が来たのでこの辺にしておきます。

 

ファウスト批判=ドイツ批判

 キャラ配置で見たように「魔の山」は「ファウスト」を典拠にしながら、ファウストに該当する人物がいません。肝心の主人公が不在なのです。それは批判を行いたいからです。

 

ファウスト」ではキリスト教道徳からの解放を描いています。具体的には、ループ時間の採用と、土地干拓=生活空間の拡大です。「魔の山」はこれに異議を唱えているのでその反対を描きました。

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またマンの批判はファウストにとどまらずドイツ文化にまでゆきます。「魔の山」が執筆されたとき第一次世界大戦はドイツの敗北で終結しており、ワイマール共和国が誕生しています。世界でもっとも民主的な国を非政治的なドイツ国民がいかにして守っていくのか。マンの答えは「フランスを見習え」でした。

 

5-9「ワルプルギスの夜」でもハンスとショーシャの会話はフランス語でした。ロシア人のショーシャがフランス語しか分からないというのもありますが。

 

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 7-7「妙音の饗宴」にて、蓄音機の主となったハンスは5つの曲を聴きます。ラインナップ見ると、フランス人作曲家が多いですね。

 

ここで注目すべきは、4番目のグノーのオペラ「ファウスト」の「ヴァレンティンの祈り」です。

Nellie Melba In The Role Of Marguerite In Faust In 1920 : ニュース写真

このグノー版ファウストは内容は第一部のみで原作と結末違っています。当然ドイツ人から評判悪いみたいです。もっとも原作版が要素詰め込みだったのに対し、恋愛劇に絞って作られたので「面白さ」ではグノーの方が上です。

 

「フランス人がドイツが誇るゲーテに曲をつけている」これだけでドイツ人は気に食わないようですが、戦争で負けてフランスに占領され、民主化されたドイツの姿と被るものがあります。「悔しいけど民主化されましょう。グノーのファウストが評価されているように、ワイマール共和国だって素晴らしいものですよ」とでもマンは言いたいのでしょう。かつて兄貴ハインリヒ・マンを「フランス贔屓」「文明の文士」と蔑んでいた保守派のトーマス・マンは消えて、兄貴そっくりの左翼になった姿がそこにはありました。

 

時勢を読めるあたりしたたかですが、こういう八方美人な態度が後年、ドイツで居場所を無くす原因でもあります。

 

 愛国心

 では、トーマス・マンはドイツへの愛を失ってしまったのでしょうか。

 

7-10霹靂では、ハンスは戦場である森を行軍しています。本来、煉獄山の頂上には地上楽園があるはずなのですが、ハンスの眼前には、第一次世界大戦という名の地獄が広がっていました。煉獄山を登った先は再び地獄だったのです。

 

「彼は魔法を解かれ、救い出され、自由になったのだと知った」という文章があることから大戦勃発によって錬金術による生成が終了したことが分かります。ついに、フラスコの中から、魔の山から出るのです。

 

そして戦場にはハンスと同じような「人生の厄介息子」たちが数多く従軍しています。彼らは祖国ドイツのために戦います。魔の山執筆時はすでにドイツは敗戦していたので彼らの奮戦は虚しいものです。ここで「ファウスト」のラストを思い出していただきます。

 

ファウスト」のラストはホムンクルスやその他幼くして死んだ子供たちの魂がファウストを救い出します。

 

となると「魔の山」結末の意味は、

 

「ハンス・カストルプや死んだヨーアヒム、戦場で戦っている若きドイツ兵たち。これらはみなホムンクルスであり、彼らの魂が悪魔の手に落ちかけているファウスト=ドイツの魂を救い出してくれるだろう」

 

となります。

 

国際色豊かで愛と善意のヒューマニズムを描いたと評される作品の裏側には、強烈な愛国心が隠れていました。死んだ将兵の魂は無駄ではなかった。敗北したドイツの魂を救ってくれるのはきっと彼らに違いない。マンの秘めたる想いが伝わってきます。

 

ここで、もう一度蓄音機で流したプレイリストを確認します。

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最後の選曲はシューベルト菩提樹」です。

彼は歌曲の王と呼ばれるほどの作曲家ですが、ゲーテの作品に数多く曲を付けたことでも有名です。とはいえ生前、ゲーテから認められることは無かったようですが。

 

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さらにハンスは戦場で「菩提樹」を口ずさみます。

 

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シューベルトが亡くなったのは31歳。

ハンスが出征したのは24+7=31歳。

 

もしかするとマンはハンス・カストルプを通して、自分をシューベルトと重ねていたのかもしれません。偉大なゲーテへの愛憎を込めて。

 

問題点

 と、ここまでまとめてみると、「魔の山」の凄さと同時に問題点も見えてきます。

・キャラ配置が複雑で効果が薄くなっている

「悪霊」を参考にしたキャラ配置をしたのは良かったのですが、主要キャラをホムンクルスに包括するのはやりすぎです。

 

・中庸の思想が八方美人になる危険性

トニオ・クレーガーもそうでしたが、二元論の中間、中庸を取るというのは確かに解決策になります。しかし同時に日和見で、どっちつかずの八方美人になる危険性も十分あります。

 

現に作者は大戦中はゴリゴリの保守派だったのに、戦後は民主主義を擁護する発言をします。インテリはともかく大衆は相当癪に触ったのではないかと予想できます。

 

(保守派時代のマンを知りたい方は「非政治的人間の考察」というアホみたいに長いエッセイを読んでください。大部分は「お兄ちゃんの馬鹿!」レベルの口喧嘩ですが、ドイツ人に対する考察はおもしろいです。タイトルはニーチェ「反時代的考察」にあやかってますね)

 

・ペーパーマネー問題への関心の薄さ

魔の山」はファウストの中でも「古代のワルプルギスの夜」に焦点絞っています。ワルプルギスは確かに有名で盛り上がりますが、「ファウスト」のテーマはそれだけではありません。

 

特に、紙幣発行をスルーしているのは頂けません。紙幣発行を肯定的に描いた文芸作品は極めて稀少で、だからゲーテは偉大なのですが、トーマス・マンはここをスルーしてます。一丁前に批判していますが、やはりゲーテの知性にはあと一歩及びません。

 

文学は無力

Benito Mussolini and Adolf Hitler on Review Stand : ニュース写真

 マンのアンビバレンツな愛国心も虚しく、ドイツは再び地獄を見る羽目になります。一人の男の存在に非政治的なドイツ人は熱狂しました。その男はオーストリアの生まれで、第一次大戦にも従軍し、演説の上手さで民主主義体制下で台頭しました。

 

ハンス・カストルプと同様、戦場を駆け抜けたホムンクルスの魂のなかに、その男は混ざっていたのです。皮肉なもんですね。

 

こうして「魔の山」以降のトーマス・マンは本格的な自己批判へと向かいます。

自らが愛したドイツ文化を、批判そして否定します。「ワイマルのロッテ」はゲーテ批判、「ドクトル・ファウストゥス」では本格的にゲーテファウスト」とベートーベン第九の「歓喜の歌」を否定します(主人公のモデルはニーチェです)。

 

しかし、そういった批判の裏側で、愛してやまないドイツ文化、ドイツという国、何より自分自身を肯定したい思いに苛まれています。否定半分、肯定半分の相反する感情が彼の内にあります。

 

参考

yomitoki2.blogspot.com

宮崎駿堀辰雄風立ちぬ」が「魔の山」を下敷きにしていることも、「魔の山」が「神曲 煉獄篇」を下敷きにしていることも知っています。その上で自分の世界観に合わせて組み立て直しています。我々は途方もない天才と同じ時代を生きているのです。

 

jaguchi975.seesaa.net

上記の「コミュニケーション・サークル」を応用したのが黒井マダラさんの「シビラゼーションサークル」です。文明の四つの環という発想は面白いですね。戦闘、性交、飲食、休息の4つとも「魔の山」で再現されていた光景です(性交は直接描写されませんが、サナトリウムの風俗はかなり乱れています)。