週休二日〜アニメと文学の分析〜

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「ブリキの太鼓」感想

映画「ブリキの太鼓」を見た。監督はフォルカー・シュレンドルフ、原作はギュンター・グラスの同名小説。

 

昔、深夜にテレビを付けたらたまたま放送していた記憶がある。怖いというかグロいというか、とにかく気持ちが悪くて二度と見ないだろうと思っていたが見た。

 

具体的にどう気持ち悪いのか。例えば、

主人公オスカルとオスカル母アグネス、アルフレート、ヤン・ブロウンスキの4人で海岸を散歩するシーンがある。

 ブリキの太鼓2

マツェラートとアグネスは夫婦であるが、彼女は従兄のヤンと不倫している。もしかするとオスカルの父親はヤンかもしれない。さらに現在ヤンの子を妊娠中、そういう関係である。

 

バルト海の砂浜を歩いていると漁師がいる。話を聞くとウナギを獲っている。引き揚げてみると腐った馬の頭からウナギがニョロニョロと飛び出している。目や口からニョロニョロと。アグネスは嘔吐する。しばらくウナギ食べられなくなるトラウマシーンである。

 

気持ち悪いシーンであるがメッセージが込められている。

 漁師の老人のセリフ「一番大漁だったのは第一次大戦中で、海戦で沈んだイギリス海兵を食べて鰻がよく育った時だった」

このシーンの後、アグネスは発狂して魚を生で食らいまくり、自殺する。お腹の子と一緒に。

 

ここでは、鰻=オスカル、馬=アグネスある。鰻は北海、バルト海の主要産業であり、ダンツィヒ=オスカルである。イギリス海兵を食べて太った鰻が取れた=第一次世界大戦で連合国側の勝利で形式上独立国になれたことである。馬の頭から鰻が飛び出ているのは、オスカルの暴走が母親の精神を食い破っていることを暗示している。

ja.wikipedia.org

さらに、別のシーンでアグネスはオスカルを連れて教会に不貞を懺悔しに行く。このときオスカルはマリアに抱かれたキリスト像に太鼓を持たせ「できないのか!それともやる気がないのか!」と叫ぶ。これは教会がナチスに抵抗せず従っていたことを揶揄している。

 また、キリストに太鼓を持たせていることから、キリスト=オスカル、聖母マリア=アグネスである。アグネスの死後、後妻にくる少女の名前はマリアである。

 

アグネスはお腹の子が次なるオスカルになって、鰻のように自身を食らいつくされる恐怖から魚を食べまくるが、結局自殺する。マリアはアグネス二号なので復讐心からオスカルをビンタする。

 

こんな気持ち悪い映画であるが、優れた点は二つある。一つはオスカル役のダーフィト・ベンネント少年の怪演、いま一つは音楽である。

 

オスカルは産まれたときから全能の力を持っていたが、3歳の誕生日にブリキの太鼓を貰い、周囲の大人たちの姿(三角関係の両親たち)に幻滅して成長を止める。代わりに叫び声を上げるとガラスを割る能力を得る。

 David Bennent in The Tin Drum : ニュース写真

この捻くれた冷笑的な少年の表情は一級品である。ドイツ、ポーランド、カシュバイ、ユダヤなどの様々な人種が住むダンツィヒの歴史は複雑である。この内の誰かを主人公にしても一面的になってしまう。歴史の見方に偏りが生じてしまう。この複雑怪奇な歴史を描くには怪奇的な少年を語り手にするしかなかった、という算段である。

 

オスカルは悪魔的行動で周囲の人間を不幸にする。いい年なのに太鼓を叩いて道化になっている、16歳のマリアとのセックス、父アルフレートの膣外射精を邪魔してマリアを妊娠させる、アルフレートとヤンを間接的に死に追いやる等キリがない。

 

音楽について。この映画はやたら音楽が鳴っている。オスカルの太鼓、ラッパ吹き、母のピアノ。ドイツ人は本当に音楽が大好きなのであろう。

 

劇中でピアノの上に飾ってあるベートーベンの肖像画ヒトラーに取り替える。第二次大戦でドイツ降伏後、アルフレートは「やはりベートーベンは天才だ」と言ってヒトラー肖像画を焼く。散々、ナチスに心酔していたアルフレートの手のひら返しもひどいが、ベートーベン→ヒトラー→ベートーベンとなっている。これにはドイツのロマン主義に対する批判も込められていると考える。

 

グラスの大先輩にトーマス・マンがいる。彼はマンのこと尊敬してたらしく死ぬまでリューベックにいた。

 

マンの最後の長編である「ファウスト博士」では、天才作曲家レーヴェルキューンが自作を演奏する直前で発狂して、そのまま正気に戻ることなく死ぬ。曲のタイトルは「ファウスト博士の嘆き」。ゲーテファウスト」の聖女の救済を否定し、ベートーベン第九「歓喜の歌」も否定してしまう。つまりロマン主義の否定である。

ファウスト博士 上 (岩波文庫 赤 434-4)

ファウスト博士 上 (岩波文庫 赤 434-4)

 

 

マンの文体というのは実はドイツらしくない。執拗に写実的で、執拗に科学的専門用語を乱発する。文体に関してはゾラとかフローベルとかのフランス自然主義である。もちろん本人はワグネリアンなので本質的にはロマン主義の人なのだが、ロマンをロマンとして描かない、ロマンそのものを描かずに間接的に表現する。

 

要するに、マンは自分の最も愛するものを自らの手で否定したのである。とはいえ、二度の大戦とも従軍せず悠々自適の亡命生活を送ってた人間にナチス・ドイツの悲惨さなど描けるはずもなく、所詮は観念の遊戯であるに過ぎない。天才も老いる。

 

戦争体験の話で言うと、ギュンター・グラスナチスの親衛隊に入って戦車の砲手をしていた(この事実は世界中でバッシングを受けた)。マンには出来なかった戦争のリアルを描くことができる。もっとも現実を知っているあまり、ロマンに逃げられないのが辛いところである。作風もグロテスクにならざるを得ない。もはやドイツ文学はロマン主義に回帰できないのかもしれない。

 

それでもロマン主義の片鱗が出てくるシーンがある。ナチスの集会シーンである。

 

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 最初、市民たちは軍歌を演奏しているがオスカルの太鼓にテンポを乱され、「美しく青きドナウ」の有名なワルツにつられてしまう。ナチスの厳粛なパレードが一転して舞踏会に様変わりする。小さな抵抗でもこれだけ人を動かせる、とも解釈できるが、ドイツのロマン主義が発露するとともに、大衆の日和見的な態度、軽々しく鞍替えする姿勢を皮肉った名シーンである。

 

こういう非政治的で日和見的な市民の態度がナチスの台頭を許したとして批判している。しかし、この映画を傑作たらしめているのはこのシーンであり、ナチスの軍歌であり、ヨハン・シュトラウス2世である(オーストリアとドイツは民族的には同一である。日本でいう京都と東京の関係)。ナチスの犯罪によって、仕方なく封印しているが本当はロマンが大好きでたまらない、というのがドイツ民族の本音ではないか。

 

帰ってきたヒトラー」はこの姿勢を継承しつつも連合国側にかけられたナチスの呪いを脱却しようとしている。「ジョジョラビット」に関しては監督がニュージーランドの生まれである。ドイツ人には決して描けない。

 

帰ってきたヒトラー(字幕版)

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  • 発売日: 2016/12/23
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ジョジョ・ラビット (字幕版)

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オスカルの本当の父親がアルフレートなのかヤンなのか分からない=ドイツ人なのかポーランド人なのかアイデンティティが分からないダンツィヒ市民であり、父の分からないキリストである。父が不明(信仰が不安定)、聖母は不貞に走り、キリストは醜い小人と化している。ナチスに対して抵抗しなかった教会を批判している、というところまで考えた。正直、1回見ただけではなんとも言えない。


ブリキの太鼓を読み解けば、現代のドイツ文学が色々分かってくるだろうが、順序的にトーマス・マンをやってからの方が良さそうである。原作もアホみたいに長いので正直やりたくないし、もっと言うとあまりにも政治的すぎて面白くない。こういう読者の姿勢も非政治的で批判の対象なのだろうが。