神曲 追記その2
解説ではあまり触れなかったが「神曲」では鋭い政治批判が展開されている。この時代の政治批判とはすなわち教皇批判である。現代では優れた翻訳と注釈があるので凄さを実感できないが、かなり遠まわしに揶揄している。金銭欲に溺れた教皇や大商人たちはみな地獄の罪人に言い換えられてむごい仕打ちを受けている。理由はストレートに表現したら教会に異端審問にかけられるからである。それでもかなり危険だったらしく天国篇はダンテの死後に発表された。
フィレンツェでは白派と黒派が絶えず争いを繰り広げていた。ダンテは白派に属し、黒派のクーデターで政治争いに敗れると亡命者になった。そして亡命しながら書いたのが神曲である。
とはいえ作品中で批判されているのは敵である黒派だけではなく、白派の人間も多く断罪されている。さらにはなかなかイタリアにくる気配のない皇帝も批判している。全方位で批判を展開している。 凄まじい度胸である。
ダンテはこの作品を単にCommediaとだけ題した。「Commediaは喜劇と訳されるのは正確ではない。正しくは文体が卑俗で、悪い状態に始まりハッピーエンドで終わる形式の劇」とのこと。
ダンテは強烈な政治批判、社会批判をあくまで下品で通俗的に書いている。俗っぽさの
裏側に強烈な皮肉を込めたのである。シェイクスピアの戯曲がそうであるように道化師はしばしば真実を語る。ダンテはいわば命がけの道化をやったともいえる。もしかするとチャップリンの大先輩かもしれない。もっともダンテは民主主義ではなく皇帝権による地上支配を願ったのだが。
ダンテの後進であるボッカチョは単にCommediaと名付けられたこの詩にLa Divina Commedia(神聖喜劇)と呼んだ。なぜ「神聖」なのか?Commediaは文体が下品であるから神聖ではない。文体だけを考えるなら、神聖なのは悲劇であって喜劇ではない。矛盾している。
私が思うに、ボッカチョはダンテの勇気ある命がけの道化に尊敬の念を込めてDivinaと名付けた。とてつもない巨大権力の恐怖に誰もが口を閉ざしているとき、真実を口にできるのは、自由にものを言えるのは誰であったか。
La Divina Commedia(神聖なる道化)である。さすがに道化と訳すのは飛躍しすぎであるが。