「Re:ゼロから始める異世界生活」について語るの巻
「というわけで、『Re:ゼロから始める異世界生活』について語っていこうと思うんやけど」
「なんで毎回毎回、話題の振りが唐突なんや」
「いや、照れくさいやんか。かしこまって、気を付け、礼して始めんのが」
「気を付け、礼はせんでもええけど、今更リゼロをやる理由を教えてくれるか」
「実は年明けから再放送してたのを見てて興味が出た次第や」
「新編集版と題して、2話分まとめて一時間で放送してたやつか」
「せや」
「つい数か月前の話なのに遠い昔のように感じるな」
「コロナですっかり新作アニメが放送できんくなってしまった」
「悲しいな」
「せやな」
「本題に入ると、リゼロは長月達平の同名ライトノベルが原作で、俗にいう『異世界系』なのだが」
「蓋を開けてみると、はっきり既存の異世界系やなろう系に批判的な内容となっている」
「引きこもりで、取り柄のない主人公がある日突然異世界に転生。魔獣や強敵を前に孤軍奮闘の大活躍。可愛いヒロインたちに囲まれて幸せ一杯」
「さすがにそこまで露骨なのは無いと思うけどな」
「全然あるしむしろそういうのが売れているらしい」
「そこは『らしい』なのか」
「本屋でぱっと見た感じなので断言できん」
「なるへそ」
「具体的に何を批判しているのか、というとこれは『SAO』ではないか」
「ほう」
「SAOの悪口については一年前に書いた」
「悪口を書くなて」
「主人公キリトは引きこもりのゲーム中毒者で、ソードアートオンラインなるネットゲームに閉じ込められ、黒のコートを着こなして「黒の剣士」の異名で周囲から孤立し、本名も知らん娘とNPC幼女の三人で家族ごっこを開始し、最終的によく分からんチートでラスボスを倒した、くらいのカッコいいヒーローである」
「それだけ聞くと完全に狂人やな」
「SAOとリゼロの設定などを比較してみた。発表年は原作の単行本が刊行された年にしている」
「対になっているな」
「どちらも異世界なのだがリゼロの舞台設定がどうなのかイマイチ言及されていなかった」
「アインクラッド編はゲーム内での死が現実世界での死に直結している。反対に、リゼロのスバルは何回死んでもスタート地点に生き返ってしまう能力を持つ」
「スバルは死に戻りの秘密を周囲に話せず孤立して、キリトは第1層のボス撃破直後に自分がβテスター(お試し版既プレイ組)であることを公言して孤立する」
「対応箇所が色々あるが、一番注目すべきは主人公の性格にある。性格の相違点こそがリゼロの最大の主張である」
「性格か」
「キリトはヒロインが傷つくと怒りで覚醒する」
「それ自体は悪くない」
「しかし、怒りに身を任せるあまり、視野が狭くなり周囲に迷惑をかけている」
「キリトくんは近視眼的というか単細胞なんよね」
「反対に、スバルはエミリアの危機を助けようと躍起になるが全然上手くいかず苛立つ。やがて過剰な英雄精神は歪んだ憎しみに変わり、周囲の人々に八つ当たりをする」
「エミリアやレムに思春期特有の情けないやつあたりをするシーンはかなりキツイものがあった」
「しかし、それこそが本作が描きたかったメッセージでもある」
「そもそもの話、引きこもりのニートでしかなかった人間が異世界に来たら英雄になれる、という発想自体がおこがましいねん」
「そのうえ交渉のテーブルに立てへんおつむの弱さときた」
「救いようがない。現にスバルは絶望的なニヒリズムに陥った」
「まとめるとリゼロがSAOをひいては異世界系の批判点として『現実逃避的な英雄精神が生み出す絶望』であり、さらに言うと『身の程を弁えて知恵を絞れ』である」
「とはいえスバルもずっと側にいたレムの支えで復活しちゃう単細胞なんやけど」
「別に単細胞なラノベ英雄譚を否定しているわけではない。視野を広げて冷静になれ、と言っているだけや」
「そうか」
「ついでに話しておくと」
「なんや」
「リゼロの悪役ペテルギウスとキリトの声優が一緒なんや」
「それはただの偶然やないの」
「確かに、アニメ限定の話である。これでペテルギウスが愛する女性を誤って殺してしまったとかいう過去があればキリトくんの過去と整合性がつくんやけどな。こればっかりは原作読まな分からんね」
「伴侶殺しはるろ剣から続く剣士の伝統やからな」
「しかし、これだけではSAOが、というより単なるアンチ異世界系であるだけな気がする」
「そう来ると思ってだな」
「なんや」
「魔女教に七つの大罪というワードがあったやろ」
「あったな」
「まあそうやな」
「仮に、神曲ーSAO-リゼロが繋がっていたとしたら」
「繋がっていたとしたら」
「こんな感じで対応表を作ってみた」
「茅場とウェルギリウスが対応しているのが納得できへんねけど」
「茅場は確かに悪役だが、ファントムバレット編の最後で判明したように難病患者のためのフルダイブマシーンを開発していたように完全な悪人という訳ではなかった。それ以降の展開でもキリトたちは知らず知らずのうちに茅場に導かれていくような場面に出くわしている」
「SAOは次のフェアリーダンス編でもシェイクスピア「夏の夜の夢」を参照している風だったが、内容は大して関係なかった。オーベロンとティターニアの名前が出るくらい」
「どちらかというとゲーム内の世界観構築に興味があるっぽいな」
「しかし、こちらをご覧いただきたい」
「神曲の煉獄山やな」
「続いてこちらをご覧いただきたい」
「SAOのアインクラッドやな」
「似ていないだろうか」
「はい?」
「煉獄山とアインクラッドの形状が似ていないだろうか」
「いや、まあそう言われればそうやけど」
「各フロアが円形であること、上に行くにしたがって先細りになる、最上階でゴール(地上楽園・現実世界)に到達」
「しかし、まあ内容での整合性が取れんからイマイチやな」
「考察不足の面もあるから食い下がってやろう」
「なぜ偉そうなのか」
「最後にリゼロの最終回、エミリアとの会話シーンなんやけど」
「エミリアに膝枕されているシーンか」
「非常に楽園ぽい」
「ということは煉獄山の頂上にいる」
「そしてスバルとエミリアの間でこんな会話が続く」
スバル「君が自分の嫌いなところを10個言うなら、おれは君の好きなところを2000個言う。おれは君をそうやって、おれの特別扱いしたいんだ」
エミリア「されて嬉しい特別扱いなんて生まれて初めて。どうして2000個なの?」
スバル「おれの気持ちを表現するのに100倍じゃ足りねーからだよ」
「この2000個、100倍云々はどういう意味なんやろうか。よく分からん」
「さきほどの説を採用すれば今スバルたちがいるのは煉獄山の頂上であり、アインクラッドの頂上である」
「うむ」
「そして『100倍じゃ足りねーから』というのはアインクラッド全100層のことを指し、要約すると『我々はSAOの欠点を克服して上回った』という宣戦布告になる」
「えらい攻撃的やな」
「攻撃的な作者なのかもしれない」
「しかし、原作者のTwitterを覗くとこんなツイートがある」
ソードアートオンラインなのに、アニメの途中でソードアートオンラインがクリアされてしまった…いったい、どうなるんだ…。
— 鼠色猫/長月達平 (@nezumiironyanko) 2017年4月23日
オーディナルスケール見てきた。
— 鼠色猫/長月達平 (@nezumiironyanko) 2017年4月27日
最後のアスナのスイッチ見て泣かないのって不可能ではないのか?(デジャ・ビュ)
「なんやこれは」
「リゼロの原作者は別にSAOに批判的なわけじゃなさそうやな」
「いや、これはフェイクかもしれん」
「まだ言うか」
「作家というものはみな嘘つきであり、作品の真意を簡単に見破られることを激しく嫌う。そのためだったらインタビューだろうがTwitterだろうが嘘をつくに決まっている」
「無茶苦茶や」
「無茶苦茶で何が悪い」
「ここまでくると陰謀論やな」
「読み解きは基本的に陰謀論やぞ」
「まあそんな感じで2期の放送を首を長くして待とうかなと」
「その前に自粛を解除してもらわな」
「事態の好転を切に願いながら」
「今回はこの辺で」
「さようなら」