飽和するアニメ
「暇なのでアニメについて話していこうかなと」
「唐突やな」
「別にええやろ」
「ええけど」
「今期で一番面白いと思ったのは『かぐや様は告らせたい』」
「その心は」
「頭空っぽで楽しめるから」
「それは貶してるんとちゃうんか」
「いや褒めてる。シンプルなのがええねん。最近の作品はどうも難しいことをやろうとしたり、テーマを詰め込みすぎてパンクしている作品が多いような気がしてならん」
「だけど難しいことやらんと人々を感動させることなんてできないやろ」
「これはなんぞ」
「溶解度のグラフや。理科の実験で水に食塩やミョウバン入れたり、中学校で習わんかったか」
「それは分かっとる。これがどうアニメと関係あるんや」
「アニメがパンクしているのを例えるなら飽和している状態のことで、つまり一定量の水に対して色々なものをどかどか入れすぎてるのでは、ということや」
「水を増やせばええやん」
「水を増やす=話数を増やすということなんやが、深夜アニメは基本1クール12話で2クールやらしてくれることはそうそうない」
「じゃあグラフにあるように加熱して水の温度を上げればええやん」
「水を沸騰させる=物語のボルテージを上げるということなんやが、作画や脚本にどれだけ力を注いでも、いまいち盛り上がらなかったアニメが数多存在することを考えると並大抵の作業ではないと思われる」
「ちょっと前にやってた『色づく世界の明日から』が典型的やな」
「映像も音楽もキャラクターも良いのに、内容詰め込みすぎて飽和しとった」
「12話で魔法やら過去のトラウマやら人間関係やらを描くのは無理がある」
「本当は2クールでやる予定だったのに1クールになってしまった、というウワサもあるそうな」
「世知辛いな」
「絵がきれいなだけにもったいない気持ちになる」
「こういう例は過去にもあったようで」
「はるか昔にワーグナーの『ニーベルングの指環』という15時間くらいあるオペラがそれに当たる」
「ゲルマン伝説、宗教、貨幣など内容を盛り込みすぎたのが原因やな」
「こちらの解説に詳しく書かれている」
「あとはこんな例もある」
「これはなんぞ」
「再結晶や。グラフの通り、加熱した水溶液を冷やすとその分だけ溶けてた物質が析出するんや」
「だから、それのどこがアニメと関係あるんや」
「さんざん大風呂敷を広げておいて、最後間に合わんくて畳みきれなかったみたいなアニメあるやろ」
「おう」
「極限まで高まった物語のボルテージが最後の最後でイマイチな終わり方をさせられると急激に冷めるんや。そして飽和する。この現象を再結晶に例えた」
「具体的にはAngel Beats!とかか」
「あれも面白いんだけどな」
「あの作品はノスタルジックかつエキサイティングな演出で、緻密な脚本と少年少女がイデオロギーに対して絶妙にドラマツルギーで…」
「何を言うとるんや」
「こう書くとなんか偉いこと言ってる風に見えるやん」
「カタカナ言葉並べてるだけで大したこと言うてないやろ」
「せやで」
「冗談はさておき、やはり安パイでいくなら溶かす物質の量を減らす=内容を詰め込みすぎないに限る」
「なんか寂しい結論になったな」
「そうか。現に『かぐや様』は内容こそ薄いが、キャラクターの喜怒哀楽やらちょっとした掛け合いやらが面白くて人気が出てる」
「物語の余白を楽しむというか、ある程度余裕があるアニメを見たいという気持ちは分かるな」
「あと出てくる女の子が可愛い」
「...」
「なんや」
「いや...そういうところはオタクなんやなと」
「ほっとけ」
「オタクはほっといて、テレビアニメは構成よりキャラ重視なのは『青ブタ』を見て分かったしな」
「アニメはキャラ戦略が命やな」
「せやな」
「ごちゃごちゃ言ってきたが、今回伝えたかったのは、作品作るうえで大切なんは盛り込めるテーマの溶解度(限界値)をわきまえることで、『無理なもんは無理』と開き直る精神が大切っちゅうことや」
「分かっててもそれができない実情もあるわけなんだが」
「それに関しては、どうにもならん」
「冷たいな」
「しゃーない」
「言いたいことは大体終わったけど、なんかあるか?」
「他に気になったアニメは?」
「『夜は短し歩けよ乙女』というのを見た。湯浅監督はデビルマンのリメイクで知ってたけど、思ったよりもファンタジーだった。ちょっと演出のやりすぎでヤク中の幻覚かなと思った箇所もあったけど、ドタバタ感が大学生っぽくて面白かった」
「Twitterでは『どろろ』と『モブサイコ』が人気みたいやけど」
「見てない。漫画読んだしええかなと」
「適当やな」
「他は?」
「展開予想はせんのか?」
「やろうと思ったけどめんどくさくなったからやめた。次やります」
「なまけもんが」
「やる気が出なかったからしゃーない」
「という感じで」
「今回はこの辺で」
「さようなら」