文学と方程式
以下は仮説である。
通常、物語は一つの主題に沿って描かれる。
一つの主題は一つの文化に基づいているとする。
作者が日本人なら日本の文化に基づいた主題を、ロシア人ならロシアの文化に基づいた主題を選ぶことが多い。
数学で例えるなら一次方程式である。シンプルで解きやすい。だけど、ちょっと物足りない。世界中に存在する多くの作品がここに該当する。
そこに天才が現れる。天才は二つの主題、つまり二つの異なる文化を合体させることに成功する。
ダンテの神曲、ゲーテのファウストがこれに当たる。日本文学も大変苦労しながら西洋文化と日本文化を融合させた。
二次方程式である。解が二つある。これが二つの文化を表している。
ただし、解がちょっと汚い。美しくないのである。あと計算も大変である。
そこに超天才が現れる。
係数を上手くいじって綺麗な解を出せました。これなら簡単に計算できる。さっきの方程式よりも分かりやすく、一般的である。
この超天才の名前はドストエフスキー。作品はカラマーゾフの兄弟。
では、三次方程式はどうか。
ご覧の通り、解の公式も半端なく長い。
三つの異なる文化のドッキング。このかつてない難題に挑んだ作家はいるのだろうか。
あるとすれば相当な大長編で、難解だと思われる。係数を綺麗に揃えるどころか一生のうちに完成することすら危うい。
一つだけ心当たりがある。
プルーストの失われた時を求めてがそうなのではないか。そう考えると、あれほど長い理由も納得がいく。三次方程式なのだから長くなって当然である。
果たしてプルーストは成功したのだろうか。読んでる途中なのでまだ何も言うことができない。
ただ成功していたら、次は四次方程式だ!となるのが人間である。失われた時を求めて以降、四つの異なる文化のドッキングなんて作品は生まれていないはず。
つまり、三次方程式は無理だったということになる。
文学の世界では二次方程式までが限界で、それを証明してくれたプルーストは偉大である。自分の一生をかけて「無理だということ」を発見したのだから。
あくまで仮説なので読んでみにゃ分からないのだが、本当にめんどくさい。