構造を読むとは その1~トニオ・クレーゲル~
「構造を読む」という世界が存在する。
これは文学に限らず、映画やアニメといったジャンルにおいても優れた作品には、「構造」が存在する。
しかし、一般的に「構造を読む」という考え方が広まっていないせいで、その価値を理解されていない作品が多々ある。
特に、古典と呼ばれる名作でも年月を経るにしたがってその価値を忘れ去られている。
これは非常に由々しき事態であり、何としてでも解決しなけれならない。
では、「構造」とは何か?
「構造を読む」とはどういうことなのか?
その意味を説明するために、まずは「トニオ・クレーゲル」という小説の説明から始めていく。
「トニオ・クレーゲル」は1903年に発表された作品である。日本でいえば日露戦争の前年に当たる。中編小説で、内容も壮大というわけではないが、構造的に優れている。
あらすじ
詩を愛する少年トニオ・クレーゲルが友人と下校したり、好きな女の子の踊りを見たり、旅をしたりする中で、芸術の世界で生きるか、平凡な一般市民として生きるかで揺れ動く青春ストーリー。
読むのが疲れる
この作品の最大の弱点は「文章が回りくどい」ことである。いちいち長ったらしいので短編なのに読むのが疲れる。胃もたれがする。
作品の主題としては、トニオ君が最後に言ってるように
「芸術と市民(=平凡に働く生き方)の両立が大事だよね」
というのが主題になっている。
この手の話は大体「芸術に身を捧げて破滅する」と「夢を諦めて現実を生きる」のどっちかに全振りになるのがお決まりだったので、そういう意味では普遍性がある。
だからって面白いわけではない。テーマに普遍性があるのとストーリーが面白いのは直結しない。
このままだと名作と呼ばれる理由が見当たらない。ただ普通に読んでいるだけでは、この小説の良さには気づきにくいようである。
ソナタ形式とは
「トニオ・クレーゲル」とは世界で初めて音楽の形式を用いた小説である。ドイツでは音楽(クラシック)が盛んであったから、そのやり方を小説でもやってみよう、ということで書かれた。
そこが評価されて今日まで読み継がれている。「トニオ・クレーゲル」の価値は表面的なストーリーではなく、ここにある。
使われたのはソナタ形式である。
音楽の形式について最も分かりやすい説明が上のページにある。
簡単に言うと、AとBというメロディーを思いついたとして、
(A+B+A1+B1+A+B)
という感じで並べて、曲を組み立てるやり方である。(A1とB1はAとBを微妙に変えたメロディー)
最初のA+Bを提示部、A1+B1を展開部、最後のA+Bを再現部と呼ぶ。
ソナタ形式を用いた構造
話を「トニオ・クレーゲル」に戻す。ソナタ形式を用いた構造を以下の表に示す。
表ー1 構造解析表
まず、Aは主人公が「歩く」ことが主題になっている。
提示部で男の子と一緒に「歩いて」下校し、展開部では微妙に変化を加えて、主人公が人生を歩む過程を描写し、再現部で旅をするという流れである。
ちなみに故郷やトニオのルーツであるデンマークを旅するのは、提示部を再現しているからである。
次に、Bは「踊り」が主題になっている。
提示部で好きな女の子の踊りを見て、展開部では女の友人に「踏み迷える俗人」言い放たれ、再現部でかつて好きだった女の子の踊りを見る。
B1は主人公が熱弁しているだけで、踊りとは関係ないのだが「踏み迷える俗人」というのが「踊り」と掛かかっている。
余談だが、「踏み迷える俗人」の原文はverirrter Bürger
直訳すると、道に迷った俗人である。
今回、取り上げたのは実吉捷郎訳なのだが、「踏み迷える」と訳した訳者のセンスは素晴らしい。この訳者がソナタ形式に気づいていたかは分からないが、翻訳が卓越していることは表ー1を見ても明らかである。
対句構造について
構造とは、いわば骨組みのことである。家を建てる際、骨組みが不安定なら家はたちまち倒れてしまう。これを防ぐには骨組みをより強化、堅固なものにする必要がある。
「トニオ・クレーゲル」もより堅固な構造とするための工夫が用いられている。それを明らかにするために章立て表を示す。
表ー2 章立て表
表ー2からA-A1-AとB-B1-Bにそれぞれ似たような出来事が起こっているのが分かる。このような工夫を「対句」と呼ぶ。対句については下の記事に説明がある。
それぞれの対句について説明していく。
青色と薄茶色の部分は、先ほど説明した通りである。
・恥をかく
Bで 踊りを間違えたトニオはみんなに笑われて恥をかく。B1でトニオは女の友人リザベタに大勢の前で詩を読んで恥をかいた少尉の話をする。Bで踊りで倒れて、恥をかいた蒼白い少女をトニオが助ける。
つまり、この蒼白い少女はかつてのトニオ自身である。トニオが助けたのは目の前の少女であり、過去の自分である。
・笑われる
Bで踊りを間違えたトニオは好きだった女の子にも笑われてしまう。B1でトニオは熱弁するもリザベタににやにや笑われてしまう。Bでかつて好きだった女の子を見つけたトニオは心の中で「あざ笑ったのか」と問いかける。
・名前
この説明をする前に、登場人物について整理する。
表ー3 外見の特徴による登場人物の分類
注目すべきは、「曲がった脚」という共通点を持つ、インメルタールとゼエハーゼである。(ちなみにトニオと蒼白い少女も黒い目をしている)
インメルタールが出てくるのは
Aでトニオは友人ハンスに「君の名前は変だ」と言われて傷つく。同級生のインメルタールは気の毒そうにしている場面。
ゼエハーゼが出てくるのは
Aで故郷のホテルでトニオは警官に名前を聴取され、詐欺師と疑われる。ホテルの支配人ゼエハーゼは気の毒そうにしている場面。
つまり、ハンス=警官でインメルタール=ゼエハーゼである。
この二つの場面は対句である。
どちらもトニオの名前を悪く言われ、脚の曲がった男がそれを気の毒そうにしている。
そしてA1ではトニオが詩人として名前が知れ渡る描写がある。これも対句に含まれる。
最初に名前をバカにされた思い出、次に詩人として名前が売れたこと、最後に警察に詐欺師疑われ、名前を聴取されるという展開である。
以上の対句構造が「トニオ・クレーゲル」の構造を支えている。
まとめ
ここまで、「トニオ・クレーゲル」の構造を読んできた。
このように、表面的に読むだけでは分からない裏の世界、「構造を読む」という世界が存在する。
今回取り上げた「トニオ・クレーゲル」の場合、それはソナタ形式であり、それを補強する対句構造であった。
そして、このような構造を持つ作品は他にも存在する。
次回は別の例について説明する。
<参考>
原文はこちらのページで見られる。ドイツ語に自信のある方はこちらからどうぞ。
http://www.gutenberg.org/files/23313/23313-h/23313-h.htm
<出典>
https://en-konkatsu.com/koitori/mune-kyun/2423/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%90%89%E6%8D%B7%E9%83%8E