「注文の多い料理店」解説【宮沢賢治】
宮沢賢治の代表作の一つ。国語の教科書に載るくらい有名である。子供向けに書かれた割には良くできている。しかし、何がそんなにすごいのか理解されていない。
あらすじ
あらすじは、わざわざ書かない。短編なので、忘れてしまった方は上記のページから読んでほしい。
「注文の多い料理店」の不可解な点
冒頭、「白熊のような犬二匹つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを言いながら、あるいておりました。」とある。
普通、日本で猟犬といえば柴犬である。そもそもシロクマのような大型犬が狩猟に向いているとは思えない。謎である。
さらに、この直後、二匹の犬は「あんまり山が物凄いので」という理由で泡を吹いて死んでしまう。山がすごいから犬が死ぬとはどういうことなのか?風に吹き飛ばされたのか、寒さのあまり死んだのか、それさえも書かれていない。意味不明である。
これ以外にも常識ではありえない展開が起こる。つまり、リアリティのある童話ではなく、昔話のような抽象的な物語とみて考えるべきである。頭柔らかくして、子供に戻った気持ちで読み進める。
読み解くヒント
抽象的な作品というのはたいてい読者が読み解けるように、作者からヒントが与えられている。賢治もヒントをちゃんと残してくれている。
ヒントその1
山猫軒に入ると、たくさんの扉がある。扉には料理店からの注文が書かれている。開けてみると裏側にも注文が書いてある。
ヒントその2
最後の扉には「さあさあおなかへおはいりください~」とある。
ヒントその3
二人が山猫軒に行く前にこんな描写がある。「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。」
同じ描写がもう一度出てくる。復活した二匹の犬に助けられた後に、「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。」
ヒントその4
「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」「ぼくは二千八百円の損害だ」「山鳥を十円買って」等の不自然に強調された値段
ヒントその1とその2は「この物語も扉のように表と裏がある」ということである。(その2の「おなかへおはいりください」は、部屋の中とお腹が掛かっている)
扉の文字について、まとめたのが下の表-1である。
表ー1 扉の文字
ヒントその3は場面の切り替わりを教えてくれている。「風がどうと吹いてきて~」で場面が切り替わるので、そこで話を3分割する。
表ー2 章立て表
Aパート:山奥、Bパート:山猫軒、Cパート:東京である。A-1とB-1、A-2とB-3、A-3とB-2がそれぞれ対になっている。Cは短いが、結末部である。
さらに、AとBの対句はこれだけにとどまらない。作中に対句となる表現が頻出する。ここで「風がどうと吹いてきて~」を基準に、下の表ー3を作成する。
表ー3 対句対応表
これ以外にも対応する対句はあるかもしれないが、賢治の文章の密度の濃さが分かる。
一つ一つの事象が他の事象と密接にかかわっているので、密度が濃くなって読んだ人の頭の中に残りやすくなる。この文章の密度こそ賢治の特徴であり、「注文の多い料理店」の不気味さの正体である。
恐るべき構造
表ー1で見たように扉の枚数は7枚である。表ー2からA+B+C=3+3+1=7の構造になっているのが分かる。7で一致していることに注目して、二つの表を合体させる。
表ー4 章立て表2
表ー4を見れば、「風がどうと吹いてきて~」を基準に3分割したことが正しいと証明される。ここまで密度の濃い文章はすごい、というより怖い感じがする。
そしてCパートに対応するのが「大きな二つの鍵穴」である。つまりCパートが物語の鍵、核心部分であることが分かる。
紙幣
最後にヒントその4である。ここが主題に関わる重要なヒントになっている。
結局、「注文の多い料理店」は二人の紳士が二匹の犬に助けられるも、顔が「くしゃくしゃの紙くず」になったまま戻らなくなって幕を閉じる。ずいぶん不気味な終わり方である。
くしゃくしゃの紙くずの顔、とはどういう意味なのか?
二人の男は、金持ちで、山奥で獣がいないことに文句を言い、犬が死んでも金の話しかせず、助けてもらった後も十円(現在でいうと5000円くらい)もする山鳥を買って東京へ帰る。
彼らは金持ちであるがゆえに、金に卑しい人間である。それと同時に獣を無下に扱う。鹿の横っ腹を撃ちたいとか、犬が死んでも「二千四百円の損害だ」と金のことだけを考え、都合のいいときだけ、犬に助けてもらう。自然に対する敬意を持たない人々である。
賢治はそういう人々に抗議するために、子供たちがそういう大人にならないために「注文の多い料理店」を書いた。男たちの顔をぐしゃぐしゃにした。
つまり、この結末にある「ぐしゃぐしゃの紙くず」とは、顔がぐしゃぐしゃになっているのだから、顔の描かれた紙幣のことである。
自然を軽んじ、経済ばかりに囚われた社会そのものを批判している。
ヒントその4は紙幣を暗示させるために、わざと値段を強調して書いたのである。
犬
ところで、「白熊のような二匹の犬」とはなんだったのだろうか?
ゲーテのファウスト第一部 書斎(一)にこんな一節がある。悪魔メフィストフェーレウスが黒い犬に化けてファウストの書斎に現れた後、
この中に一人つかまっている。
みんな外におれ、ついてはいるな。
まるで罠にかかった狐のように、
地獄の古山猫がびくびくしている。
とある。賢治の時代には、森鴎外訳のファウストが出ていたはずなので彼が読んでいてもおかしくはない。山猫が犬を恐れてびくびくしている様子が分かる。山猫軒という店名はここからとったものと考えられる。ファウストも経済を扱った内容が出てくる。(ただし、賢治と異なり、ゲーテは貨幣発行を好意的にとらえている)
恐らく、賢治はファウストの一部を取り込もうとした。そこで使われたのが犬である。
西洋文化では犬は悪魔の化身であり、嫉妬の象徴でもあった。
しかし、日本では犬に対するイメージが昔からかなり良かった。南総里見八犬伝、忠犬ハチ公、最近でいうと「おおかみこどもの雨と雪」である。日本では犬は忌むべきものではなく、忠義の象徴として文化に吸収されてきた。
賢治はこれを理解し、悪魔メフィストの黒い犬の対比として白熊のような犬を作った。二匹なのは神社の狛犬のように、対になって存在するものという考えがあったのだろう。これは作品が対句構造をもっていることの暗示にもなっている。
そして賢治の犬を受け継ぐのが宮崎駿のもののけ姫である。人間を憎みながら、人間の子を育てるモロの君なんかは完全に「白熊のような犬」である。
余談
夏目漱石の弟子だった鈴木三重吉という作家は賢治の作品を読んで「ロシアにでも持っていけばいい」と言い放ったそうである。これはあながち間違いではない。ここまで緊密した構造はロシア文学に似ているからである。カラマーゾフの兄弟の主役は三兄弟である。だから3という数字で物語を組み立てている。こだわり方が異常である。
ただし、賢治に価値を見出せなかった鈴木には残念と言わざるを得ない。彼が冷たくあしらった男こそ師匠の漱石が探し求めていた答えを見つける人物だったのだから。
関連
涼宮ハルヒの憂鬱は6+1構造だった。注文の多い料理店は3+3+1構造である。どちらも7になるのは偶然なのだろうか。
この方の解説は一読の価値があります。漱石、鴎外が苦しんだ西洋文化の正体を賢治は突き止めています。完成はしませんでしたが。
nagi氏の「オツベルと象」の読み解きです。「注文」と同様、オチが凝っています。
同じくnagi氏による「セロ弾きのゴーシュ」解説です。三位一体教義が出てきます。
Bパートの猫だけ三位一体から外れているように見えますが、「子」のネズミと対応し、C2で猫の前で披露したインドの虎狩りを演奏する=予言が的中することから、カッコウと同じく「聖霊」に当たります。
つまり「子からも聖霊が発する」ので、カトリック的三位一体教義です。
出典
http://chigasakiws.web.fc2.com/taisyou01.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%8A%AC%E3%81%BE%E3%82%8B
http://gifu-art.info/details.php?id=900
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%86%86%E7%B4%99%E5%B9%A3