涼宮ハルヒの消失~構造、音楽、そして続編~
前回のつづきから
作品を読み解くには、構造を読み解く必要がある。構造を読み解くには、章立て表とキャラクター表が必要である。キャラ表は前回出したので今回は章立て表を使っていく。
章立て表は以下の通りである。
表ー1 章立て表
まずは冒頭である。
映画で一番大切なのはクライマックス。その次が冒頭である。構造を読み解くヒントが隠されているはずである。
冒頭は以下の通り。
キョンの部屋で目覚まし時計が鳴り、寝起きで薄目(観客の視点が半開きのまぶたからになっている)になりながら辺りを見渡す。カーテンの間から朝日の光が差し込んでいる。二度寝しようとしたところ妹に起こされる。
キーワードは目覚まし時計、薄目で辺りを見渡す、光、妹に起こされる、の四つである。この四つが繰り返し出てくるシーンが計8回ある。
これは繰り返し同じアイテムを登場させることによって、観客が無意識に美しいと感じさせるテクニックである。
例えば、 7-3の朝倉に刺されるシーンがハラハラするのはストーリーだけでなく1-1から5ー1までのシーンが繰り返し視聴者の頭の中に残っていたからだ、というわけである。
それを踏まえて、下に示す表を「繰り返し構造表」と呼ぶことにする。
表ー2 繰り返し構造表
章番号は先ほどの表―1を参照してほしい。
構造
注目すべきは7-3である。
表ー3
1-1から5-1までは基本的に同じだが、7-3は工夫が凝らしてある。
7-3には目覚まし時計が出てこないが、代わりに二人のみくるが泣きながらキョンを起こしている。目覚まし時計とは音を鳴らして人間を起こす、つまり「鳴く」である。みくるも泣いている、つまり「泣く」である。泣くと鳴くが掛かっている。
それがなんだ、と思われるかもしれないが、映画、文芸とは掛け合いの連続である。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
百人一首に選ばれている小野小町の和歌で、「降る」と「経る」とが掛かっている。謎かけみたいなものであるが、文化なんぞこんなものである。
消失の話に戻る。キョンが二人のみくるに起こされたのは表-1の「目覚まし時計」(緑色)と「女性に起こされる」(黄色)の二つの役割を果たしていることを暗示しているからである。もっとも伏線だからということもあるが。
このシーンはキョンが目的を果たそうとする寸前に朝倉に不意打ちされるというショッキングなシーンであるが、より印象的なシーンにするために表のような工夫がなされた。
次は9-1に注目する。
表―4
目覚まし時計は出てこない。代わりに小泉がリンゴの皮を剥いている。9-1では夕日が差し込んでいる。街灯(夜)➡夕日➡朝日の順番になっているのは時系列がごちゃごちゃになっている本作の特徴を表している。
(ただし、×があるように必ずしもすべて揃っている訳ではない)
前回も述べた通り、このシーンはキョンとハルヒが隣で寝ている。憂鬱と逆でキョンが起こす立場であるが。
以上のように、表面的なスト―リーだけでは見えてこない「構造」というものが存在する。
(もちろん、すべての作品にこのような構造が存在するわけではない。あくまで一部の優れた作品のみに存在する)
表ー4 憂鬱とサムデイインザレインと消失の比較表
以前、紹介した憂鬱とサムデイインザレインを比較した表に消失を加えたものである。整合性がとれなかったのはキスの項目。 ストーリーの都合上仕方なかったものと思われる。
消失が成功したのも表ー4を見れば明らかである。テレビシリーズからの流れをしっかり押さえて作っているのだから。
音楽
ところで映画とは総合芸術である。映像、演劇、文学、そして音楽。ジブリの成功も半分は久石譲のおかげと言っても過言ではない。
オーケストラとは西洋の文化が産み出したものである。にもかかわらず、聴くと日本の森の風景が浮かんでくる。太く、荘厳な縄文杉の姿が。オーケストラという西洋の楽器を用いながら、日本の原風景を描き出すのだから天才である。
最近でいえば「君の名は。を思い出してください」と言われたら、頭の中で勝手にRADWIMPSの音楽が流れだすだろう。音楽とはそれほど重要なものである。
消失も音楽が優れている。具体的なシーンを挙げると、5-3~5-4(教室を飛び出して坂を駆け抜ける)、8-3(キョンが心の中のもう一人の自分を跳ね飛ばす)、9-2(病院の屋上で長門と話す)、の3つである。
5-3~5-4にかけてのBGMは疾走感があって良い。陰鬱な展開が多かったのが、ここで一気に加速していくことが伝わってくる。
あと表ー1の章立て表を見ると坂のシーンが合間に頻出しているのが分かる。これも一種の繰り返し構造で、脳に何度も坂を認識させることでBGMをより効果的にさせている。
8-3はクライマックスなので、言わずもがな一番盛り上がる音楽が流れる。主人公が自問自答の末、自らの退路を断つ。セリフや作画云々より音楽の素晴らしさ際立ったシーンである。
9-2で流れたエリック・サティのジムノペディは長門との会話のシーンで使われた。エヴァもそうだったが、クラシックを使おうという発想自体、アニメ、実写問わず勇気がいるものである。格がワンランク上になるので映像もそれに見合った完成度にしなければならない。
ゆったりとした静かなメロディが流れてくる。雪が降るように、白雪姫が眠るように。
キョンの言った「ゆき」は雪と有希が掛かっている。憂鬱の桜、サムデイインザレインの雨、消失の雪。まるで和歌の世界である。西洋人が聖書を大切にするように、日本人は和歌を重んじている。一瞬の美を切り取って、愛でるのが日本人の情趣である。そういう点で見ると、伝統的なアニメともいえる。
まとめ
話が長くなってしまったが、要するに
「自分に正直に生きろ。もっと積極的に関われ。さもないと、今ある幸せを無くしてしまうぞ」
ということである。斜に構えて、傍観者気取ってたら人生なんてあっという間である。時には悪意(朝倉)が向けられることもあったけど、良い仲間(SOS団)にだって出会えた。自分の人生もっと積極的に生きねばならぬ。
この部分が作品の根幹になるので、最低限ここだけは押さえなければならない。
図ー1 憂鬱のキョンの性格図
以前、紹介したキョンの性格図である。点Oがキョンである。原点にあるということはプラスでもマイナスでもない、つまり傍観者である。
この図が消失の物語を経て下のように変化する。
図―2 消失のキョンの性格図
赤い点O'がキョンの性格、心の変化である。ほんの少しではあるがプラスに進んだ。積極的になれたのである。ルフィのように熱い闘志を燃やしているわけではない。海賊でもないが、世界を守るために一歩だけ前に進んだのである。SOS団の団員その1として。
続編について予想
ところで、涼宮ハルヒの下敷きになっているエヴァは2018年の段階でまだ完結していない。下敷きであるエヴァが完結してないということは涼宮ハルヒも完結してなくて当然である。原作は確か驚愕で止まっていたような気がする。
ここまで読んでくださった皆様ならもうお分かりになると思うが、ハルヒの続編がなかなか更新されないのは、エヴァのせいであると考えている。
下敷きとなった作品の完結を見てからでないと着地点をうまく決められない。そうなったら更新を止めて待つしかない。
繰り返し言うがこれは「パクリ」などではない。アニメに限らず、物語とは名作から名作へとバトンをつなぐように作られてきた。
憂鬱から消失は旧劇までの内容を踏まえてで作られてきたが、新劇になって急に新しいストーリーが加わり、びっくりして更新が止まったのだと推測する。
こんな予告が出ているが、本当に2020年に公開されるかは分からない。そもそもこれで完結するかも分からないので、涼宮ハルヒシリーズが完結するのは当分先である。少なくともエヴァが完結するまではハルヒは完結しないと予想している。
#涼宮ハルヒ 5年ぶりとなる新作書き下ろし短編が発表されることが明らかになりました。https://t.co/02k3iWXxyB
— 毎日新聞 (@mainichi) 2018年9月25日
そんなことを言っていたらこんなツイートを発見した。ハルヒの新作短編である。連載が再開するか、まだ分からないが、自分の予想なんて戯言に過ぎないのだと悟った。
涼宮ハルヒの消失については以上である。
参考
https://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/009.html
出典
http://www.caruta.net/ononokomachi.html