涼宮ハルヒの消失~エヴァの消失~
劇場版涼宮ハルヒの消失は大人気作となったテレビ版の続編であり、当時としては異例の興行収入を誇った作品である。
人気だけではなく、日本アニメ史的にも重要な作品である。涼宮ハルヒが後のアニメ与えた影響は大きい。
よって解析して内部構造をしっかり紐解く必要がある。解析せずに「あー面白かった」で終わらすには惜しい作品である。
テレビ版を見てないと分からない上に時系列がぐちゃぐちゃになる作品であるが、抽象的という訳ではない。一回見ただけで全体像はつかめるはず。
あらすじ
ある日、主人公は仲良くしてた女の子が存在ごといなくなってることに気付く。四苦八苦の末、タイムスリップに成功した主人公は犯人を突き止め、元の世界へ帰ってくる。めでたしめでたし。
タイトルの意味
この映画は題名の通り涼宮ハルヒが消失、つまりいなくなってしまうのか、というとそうではない。何者かによって一変した世界の中でハルヒは別の高校の学生になっていた。
ではなにが「消失」したのか?
以前述べたようにエヴァとの関係性から紐解いていく。
簡単に説明するとハルヒ=エヴァ(初号機)+アスカで作られたキャラクターである。
そして消失のハルヒを見てみる。憂鬱と比べて髪が長くなっている。もっと言うと、エヴァのアスカに近づいている。制服は北高ではないし、SOS団団長でもない。
改変後のハルヒに世界を変える力はない。憂鬱でハルヒはアスカとエヴァ(初号機)の言い換えだと説明したが、この世界のハルヒはアスカの要素しかない。
ここで以前、紹介した涼宮ハルヒとエヴァを比較したキャラクター構成表に注目する。
これが改変後の世界になると以下の表になる。
涼宮ハルヒの消失とは、「涼宮ハルヒ(の中のエヴァ)の消失」というタイトルである。
ところでエヴァの最終回にエヴァもネルフもない平和な日常が出てくる。幼馴染のアスカがいて、転校生のレイが出てくる世界。シンジはそれを「あったかもしれない世界」と言ったが、あの世界を長編映画にしたのが消失である。
キョンの精神世界
クライマックスでキョンの精神世界のシーンがある。キョンはもう一人の自分に問われる。自分の行動の矛盾を指摘される。これはエヴァでたびたび登場するシンジの心の葛藤に対応している。シンジもキョンももう一人の自分に苦しむが最終的にそのままの自分を受け入れる。
消失は長門の物語と思われがちだが、メインはキョンの成長物語である。何だかんだ言ってハルヒとSOS団が好きだった自分を受け入れるまでの物語である。シンジがエヴァのパイロットとしての自分を受け入れたように。
エヴァとの違い
エヴァと消失の違いは元の世界に帰ってきてからのヒロインの態度にある。
旧劇のラスト、シンジとアスカは隣で眠っている。シンジに首を絞められたアスカが一言「気持ち悪い」
消失はキョンが寝ているベッドの脇でハルヒが寝袋で寝ている。キョンに顔を撫でられて跳ね起きるハルヒ。キョンが目を覚まして安心しているようである。さらに病院の屋上で長門に「ありがとう」と言われる。明るい終わり方である。
以上の点をまとめたのが下の表である。
伝えたかったこと
結局は他人と生きる選択をしたシンジに「気持ち悪い」という現実を思い知らせるのがエヴァ。「そんなに現実は甘くないぞ。他人と生きることは傷つけあうことだぞ」ということである。
それに対し、キョンが目を覚ました時にはハルヒやSOS団から喜ばれる。みんな彼のことを心配してくれている。
病院の屋上で長門にはこんなことを言われる。
「ありがとう」
拒絶の言葉ではなく感謝の言葉。雪が降っているとても印象的なシーンである。シンジが受けた対応とは大違いである。
「他人と生きていくのは傷つけあうだけじゃない。助け合い、喜び合うこともある」
これを伝えるために涼宮ハルヒはエヴァを下敷きにしたと言ってもよい。
次回は涼宮ハルヒの消失の全体構造について説明する。
出典:
https://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/