週休二日〜アニメと文学の分析〜

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未来のミライ~初見考察~

一回しか見ていないので詳細な部分はあやふやである。

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一言で表すと「時間と家族の物語」

 

「家族は大切にしよう。支えあおう」そんな当たり前のことを再認識させてくれる映画だった。

 

未来のミライでは主人公くんちゃんによる計5回のタイムリープおよび幻想世界での冒険が行われる。下の表は主人公と幻想世界での家族の特徴を表にしたものである。

 

「現在」の項目では現在の主人公の様子、「幻想世界」では対象の人物としたこと、「結果」はその結果、主人公がどう変わったか、「乗り物」は幻想世界に出てくる乗り物である。(犬が乗り物なのか分類が微妙、ミライのときは出てこない)

 

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*表のくーちゃんはくんちゃんの誤りです

 

基本的に主人公が親に構ってもらえず、妹を新幹線のおもちゃで殴ろうとして親に叱られてから幻想世界(中庭)へ行く。現実と現実との間には必ず幻想世界での話があるので、サンドウィッチ構造になっている。

 

なので家の間取りもリビング、中庭、子供部屋とサンドウィッチのような一風変わったものになっている。

 

幻想世界と現実

  • 新幹線のおもちゃでミライを叩く➡駅でひとりぼっちの国行きの新幹線に乗せられそうになる
  • ミライに魚の形をしたお菓子を顔につけるイタズラをした➡魚の大群によって母親の過去へ連れてかれる
  • 過去の世界で母親は泣いている➡枕元で母親は泣いている
  • ミライの名前候補に「つばめ」➡家族の歴史を巡るときにつばめが映る
  • ひいおじいさんは船が転覆して股関節に傷を負う➡ミライの手にはアザがある

 

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他にもあると思うが記憶できなかった。最後のミライのアザについては幻想世界ではないが、アザのついた理由が明確に語られなかったことと重大なポイントではないかと考えて付け加えた。

 

他の細田作品もそうだったが、ストーリーの中で関連する事象が非常に多い。こういう作品を見ると人は無意識に美しいと感じるので、記憶に残る作品になりやすい。

 

分からなかった点

  • 冒頭、雪が降ったのはなぜか
  • ミライの手のアザ

 

冒頭のシーンは恐らく何らかの出来事との関連なのだろうが分からなかった。もう一度見直して確認したい点である。

 

ミライの手のアザはひいおじいさんの傷と説明したが、実際のところよく分かっていない。なぜアザが付いていたのか?アザがある設定が必要だったのか?ここも重要な点であるので確認したい。

 

気になったシーン

 

終盤、幻想世界で主人公が電車に乗るシーンがあるが、電車のシーンが出てくるアニメはもう一つある。2年前に大ブームになった「君の名は。」である。ジブリ作品でも「千と千尋の神隠し」に千尋カオナシが電車に乗って銭婆婆の家に向かうシーンが描かれている。特に「君の名は。」では重要な場面で使われた。

 

何が言いたいのかというとアニメを作る人たちは「電車」が好きであること、もっと言うと「銀河鉄道の夜」が好きである。

 

銀河鉄道の夜」はジョバンニとカムパネルラの絆の物語である。「千と千尋」は千尋とハク、「君の名は。」は三葉と瀧、「未来のミライ」はくんちゃんとミライの絆の物語である。

 

また、銀河鉄道の夜も現実→幻想→現実の構造となっており、先程述べたサンドウィッチ構造と同じである。構造的にも銀河鉄道と非常に似ている。

 

人と自然、過去と未来、兄と妹、全部ジョバンニとカムパネルラである。

 

思ったこと

 

未来のミライ」を見て似たような感触を覚えたのが「CLANNAD」と「君の名は。」だった。前者は家族の物語、後者は時間の物語である。個人的には「バケモノの子」より好きなのだが一般的にはどのような評価になるのだろうか。

 

上の表と幻想と現実の対応を思いついたのは終盤のミライのセリフだった。

 

ミライ「ほんのささいなことが今の私たちを形作っているの」

 

このセリフが「バラバラの事象なんてない。ほんのささいなことでも幻想と現実を対比させているの」と暗示しているように聞こえたからだ。

 

細田守は「家族」をテーマにした作品をたくさん描いてきたが、どうしてそれをする必要があったのか。それは当たり前のことだけど、ついつい忘れてしまうからだ。くんちゃんとミライの両親がそうであるように現代人はみんな忙しくて、疲れている。特に子育ては大変この上ない。

 

このままでは家族の大切さ、当たり前の日常の尊さを忘れてしまうので、定期的に思い出す必要がある。そうしないと悲惨な殺人事件に繋がってしまうからだ。アメリカでは学生が銃で同級生を惨殺する例が絶えない。(あれはスクールカースト銃社会も悪いのだが)

 

日本人は幸福なことに細田作品を見てそれを思い出すことができる。