ヴァイオレット・エヴァーガーデン7話
7話のテーマは「亡き娘への罪と救済」
簡単なあらすじを説明する
舞台→戯曲家の別荘へ赴く→身の回りのお世話→食事→代筆→傘と娘の話→代筆→湖を跳ぶ→傘を貰って船に乗る→船中で苦悶する→ギルベルトの死を知る
7話のクライマックスは湖を跳ぶシーン(18分07秒〜)。
ヴァイオレットの跳ぶ姿を見てオスカーはこう語りかける。
オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」
奇跡とは何か?なぜヴァイオレットが神さまなのか?
謎を解くには発言者のオスカーウェブスターについて知らなくてはならない。
オスカーは人気の戯曲家である。しかし、娘オリビアを亡くしている。不幸である。不幸どころか罪を背負ってしまっている。
冒頭(1分13秒〜)「ああ、私はこの罪を背負っていくしかない。このさき一生」
確かに罪を背負ってそうな顔をしている。
そんな時にヴァイオレットがやってくる。彼女は娘と同じ髪の色をした少女であった。しかし似ていたのは外見だけで、義手をしている上にカルボナーラもろくに作れない。娘との甘い思い出とは程遠い。
ヴァイオレットの登場が返って娘の不在を際立たせてしまう。
次に戯曲の原稿を代筆するシーン(8分33秒〜)に注目する。戯曲の感想を聞かれヴァイオレットはこう答える。
ヴァイオレット「本当の話ではないのに自分が体験してるようです」
戯曲の内容は主人公オリーブは船が無いので父が待つ家に帰れなくなる。そこで傘と風の使いの力で海を渡って帰るというものである。
もちろん主人公のモデルはオリビア。そしてこのセリフから
オリビア=オリーブ=ヴァイオレット
という関係が成り立つ。(ここで納得できない人はヴァイオレット・エヴァーガーデンをつまらないと思う人である。伏線とかにこだわる人は抽象的なイメージを繋げることを嫌う)
つまり死んだ娘に代わってヴァイオレットが主人公となり物語を完成させるということを暗示している。
(18分07〜)
そして湖のシーン。オーケストラの音楽と共にヴァイオレットが駆け出す。高くジャンプして落ち葉の上を歩き出す。娘の「いつか、きっと」の言葉通りに。
奇跡が起きてオリビアは父の元に帰ってきたのである。オスカーは救われた。だから涙を流している。
以上をまとめると
・オスカーは罪を背負っている
・ヴァイオレットが娘オリビアに成りかわる
・オリビアの言葉通りにヴァイオレットは湖の落ち葉の上を歩く奇跡をやってみせる
・オスカーは救済された
つまりヴァイオレットはイエス・キリストである。
イエスは水の上を歩く奇跡を起こせる。そして娘の言葉は預言である。
ちなみにオリーブは聖書に頻繁に登場する植物で花言葉は「平和」である。
イエスは人間の罪を肩代わりできる。イエスを信じる者は救われる。ただし、一瞬で湖に落ちてずぶ濡れになってしまうが。
もう一度オスカーの言葉を思い出してもらいたい。
オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」
オスカーにとってヴァイオレットは神さまだったのである。
<思ったこと>
6話より出来はいい。
(18分07秒〜)はBGMと絵が素晴らしいので感動できる。このシーンだけでもアニメが絵だけでは成り立たないことが分かる。もっと音楽を大切にすべきだ。
ヴァイオレットがイエスの比喩だというのは奇想天外でアホな発想と思われるかもしれない。というより自分自身でもそう思っている。でも面白いのでこのままいく。
今回のオモテ-ウラ図は以下の通りである。
相変わらず愚直なヴァイオレットはオモテ族で、父の心を汲み取れるオリビアはウラ族である。湖を跳ぶ行為がウラ族へのジャンプとなっている。