週休二日〜アニメと文学の分析〜

ネタバレあり。一緒に読み解いてくれる方募集中です。詳しくは→https://yomitoki2.blogspot.com/p/2-510-3010031003010013.html

涼宮ハルヒの憂鬱~社会現象になった理由~

涼宮ハルヒの憂鬱」は2006年に放送され、12年経った今でも愛される名作である。再放送での視聴率の高さがそれを物語っている。

 

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なぜここまで愛される作品となったのか?普通の作品と何が違うのか?

 

結論から述べると

 

涼宮ハルヒの憂鬱エヴァンゲリオンを下敷きに作られた作品だから

 

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というのが理由である。これについて説明していく。

 

 

下敷きにする、というのは過去の名作の特徴(キャラクター、全体構成、セリフ)をうまく自分の作品に落とし込むことである。

 

自分の作品を人気作品にしたいなら過去の名作を参考にすればいい。至極、合理的な考え方である。

 

エヴァンゲリオンは90年代に社会現象になるほどの人気を呼び、現在でも続編を待たれる人気作品である。

 

注意してほしいのが下敷きにすることは決して「パクリ」などではない。良いところを吸収して自分なりのアレンジを加えたうえで、作品に活かすのである。

 

宮崎駿細田守新海誠、みな古典を下敷きとした作品を世に出している。

 

 

次に下敷きになっていると分かる根拠を示していく。まずはキャラクターから説明していく。

 

長門綾波レイ

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一番似ているのは長門綾波レイである。これは気づかれた方も多いのではないか。

 

髪型と無表情である点から長門はレイを意識して作られたと考えて間違いない。

 

しかし、長門はメガネをかけているがレイはかけていない。大きな違いであるがこれについては後で述べる。

 

キョン碇シンジ

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次にキョンとシンジである。

 

二人とも従来の主人公像と大きくかけ離れている。そしてともに「選ばれた子ども」である。

 

それまでのアニメの主人公と言えば、ポジティブだったり正義感の強い人物がセオリーであった。ワンピースのルフィはその代表例である。

 

それに対してシンジはネガティブで傷つきやすい臆病な性格をしている。

 

キョンはネガティブではないがどこか悟ったような平凡を求める生き方をしている。シンジのように思いつめたり、斜に構えたりする様子はない。

 

そして二人とも共通して活発的とは言えない。

 

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上図はキョンとシンジの性格を表す概念図である。

 

プラスに向かうほど明るくポジティブ、マイナスに向かうほど暗くネガティブである。A点はルフィ、B点はシンジ、原点Oはキョンを示している。

 

今までの漫画アニメはプラスの主人公がほとんどだった。

 

そこに庵野はマイナスの主人公であるシンジを発明した。

 

さらに涼宮ハルヒではプラスでもマイナスでもないニュートラルな主人公キョンを発明した。

 

涼宮ハルヒの憂鬱が放送当時、社会現象を起こすほど流行ったのは新しい主人公の発明が要因の一つに挙げられる。

 

シンジはいきなり父親に呼び出されて「エヴァに乗って使徒と戦え」と言われる。理不尽である。

キョンは平凡を求めてたのに無理矢理SOS団に入れられる。理不尽である。

 

 しかし二人とも拒絶してはいるが、結局エヴァに乗っているしSOS団の活動をしている。

 

主体性がなく周りに流されやすいという点で二人は共通である。

 

そしてシンジはエヴァパイロットに選ばれ、キョンハルヒに選ばれた。選ばれた子供という点で共通である。

 

次にキョンとシンジの異なる点を述べる。

 

二人の最大の違いは「父親の存在」である。

 

 

シンジは父親を恐れているのと同時に自分を愛してほしいという屈折した感情を持つ。

 

これがエヴァンゲリオンの暗く重苦しい世界観につながっている。

 

これに対し、キョンには父親はいるが作中には一切出てこず、父に対して複雑な感情を持つことはない。父親が出てこないのだから当然である。

 

これがコメディ風の愉快な世界観につながっている。

 

ここで先ほどの長門のメガネである。

 

シンジの父ゲンドウはメガネをしていたが、レイを救出する際に割れてしまう。その割れたメガネはレイが保管している。

 

長門キョンを救出する際にメガネを失う。しかしキョンに「メガネは無い方がいいぞ」と言われてかけなくなる。

 

ここで長門のメガネはゲンドウのことである。キョンの父親はでてこないが、その名残りが長門のメガネである。

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つまり「メガネは無いほうがいいぞ」というセリフは「この作品に父親は出てこない。だからエヴァよりも明るい作品だ」と暗に示している。

 

個人的な感想としてやはりエヴァを見るよりも憂鬱を見てる時の方が気軽に楽しく見ることができる。もっともエヴァの鬱々とした感じも嫌いではないが。

 

以上のことからも涼宮ハルヒエヴァを下敷きにしていることが分かる。

 

次回はハルヒとアスカの関係から説明していく。

 

(参考) 

matome.naver.jp

matome.naver.jp

matome.naver.jp

 

こちらの方のまとめは大変面白いので、是非読まれたし。

 

 

dangodango.hatenadiary.jp

 

つまり、下敷きになっている作品が分かれば放送中のアニメも理論上、予想できるというわけです。


 

 

 

出典

http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/gallery/

 

https://www.cinematoday.jp/news/N0074288

 

 

 

 

 

 

 

 

未来のミライ~初見考察~

一回しか見ていないので詳細な部分はあやふやである。

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一言で表すと「時間と家族の物語」

 

「家族は大切にしよう。支えあおう」そんな当たり前のことを再認識させてくれる映画だった。

 

未来のミライでは主人公くんちゃんによる計5回のタイムリープおよび幻想世界での冒険が行われる。下の表は主人公と幻想世界での家族の特徴を表にしたものである。

 

「現在」の項目では現在の主人公の様子、「幻想世界」では対象の人物としたこと、「結果」はその結果、主人公がどう変わったか、「乗り物」は幻想世界に出てくる乗り物である。(犬が乗り物なのか分類が微妙、ミライのときは出てこない)

 

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*表のくーちゃんはくんちゃんの誤りです

 

基本的に主人公が親に構ってもらえず、妹を新幹線のおもちゃで殴ろうとして親に叱られてから幻想世界(中庭)へ行く。現実と現実との間には必ず幻想世界での話があるので、サンドウィッチ構造になっている。

 

なので家の間取りもリビング、中庭、子供部屋とサンドウィッチのような一風変わったものになっている。

 

幻想世界と現実

  • 新幹線のおもちゃでミライを叩く➡駅でひとりぼっちの国行きの新幹線に乗せられそうになる
  • ミライに魚の形をしたお菓子を顔につけるイタズラをした➡魚の大群によって母親の過去へ連れてかれる
  • 過去の世界で母親は泣いている➡枕元で母親は泣いている
  • ミライの名前候補に「つばめ」➡家族の歴史を巡るときにつばめが映る
  • ひいおじいさんは船が転覆して股関節に傷を負う➡ミライの手にはアザがある

 

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他にもあると思うが記憶できなかった。最後のミライのアザについては幻想世界ではないが、アザのついた理由が明確に語られなかったことと重大なポイントではないかと考えて付け加えた。

 

他の細田作品もそうだったが、ストーリーの中で関連する事象が非常に多い。こういう作品を見ると人は無意識に美しいと感じるので、記憶に残る作品になりやすい。

 

分からなかった点

  • 冒頭、雪が降ったのはなぜか
  • ミライの手のアザ

 

冒頭のシーンは恐らく何らかの出来事との関連なのだろうが分からなかった。もう一度見直して確認したい点である。

 

ミライの手のアザはひいおじいさんの傷と説明したが、実際のところよく分かっていない。なぜアザが付いていたのか?アザがある設定が必要だったのか?ここも重要な点であるので確認したい。

 

気になったシーン

 

終盤、幻想世界で主人公が電車に乗るシーンがあるが、電車のシーンが出てくるアニメはもう一つある。2年前に大ブームになった「君の名は。」である。ジブリ作品でも「千と千尋の神隠し」に千尋カオナシが電車に乗って銭婆婆の家に向かうシーンが描かれている。特に「君の名は。」では重要な場面で使われた。

 

何が言いたいのかというとアニメを作る人たちは「電車」が好きであること、もっと言うと「銀河鉄道の夜」が好きである。

 

銀河鉄道の夜」はジョバンニとカムパネルラの絆の物語である。「千と千尋」は千尋とハク、「君の名は。」は三葉と瀧、「未来のミライ」はくんちゃんとミライの絆の物語である。

 

また、銀河鉄道の夜も現実→幻想→現実の構造となっており、先程述べたサンドウィッチ構造と同じである。構造的にも銀河鉄道と非常に似ている。

 

人と自然、過去と未来、兄と妹、全部ジョバンニとカムパネルラである。

 

思ったこと

 

未来のミライ」を見て似たような感触を覚えたのが「CLANNAD」と「君の名は。」だった。前者は家族の物語、後者は時間の物語である。個人的には「バケモノの子」より好きなのだが一般的にはどのような評価になるのだろうか。

 

上の表と幻想と現実の対応を思いついたのは終盤のミライのセリフだった。

 

ミライ「ほんのささいなことが今の私たちを形作っているの」

 

このセリフが「バラバラの事象なんてない。ほんのささいなことでも幻想と現実を対比させているの」と暗示しているように聞こえたからだ。

 

細田守は「家族」をテーマにした作品をたくさん描いてきたが、どうしてそれをする必要があったのか。それは当たり前のことだけど、ついつい忘れてしまうからだ。くんちゃんとミライの両親がそうであるように現代人はみんな忙しくて、疲れている。特に子育ては大変この上ない。

 

このままでは家族の大切さ、当たり前の日常の尊さを忘れてしまうので、定期的に思い出す必要がある。そうしないと悲惨な殺人事件に繋がってしまうからだ。アメリカでは学生が銃で同級生を惨殺する例が絶えない。(あれはスクールカースト銃社会も悪いのだが)

 

日本人は幸福なことに細田作品を見てそれを思い出すことができる。

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン7話

 

7話のテーマは「亡き娘への罪と救済」

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簡単なあらすじを説明する

 

舞台→戯曲家の別荘へ赴く→身の回りのお世話→食事→代筆→傘と娘の話→代筆→湖を跳ぶ→傘を貰って船に乗る→船中で苦悶する→ギルベルトの死を知る

 

7話のクライマックスは湖を跳ぶシーン(18分07秒〜)。

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ヴァイオレットの跳ぶ姿を見てオスカーはこう語りかける。

 

オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」

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奇跡とは何か?なぜヴァイオレットが神さまなのか?

 

謎を解くには発言者のオスカーウェブスターについて知らなくてはならない。

 

オスカーは人気の戯曲家である。しかし、娘オリビアを亡くしている。不幸である。不幸どころか罪を背負ってしまっている。

 

冒頭(1分13秒〜)「ああ、私はこの罪を背負っていくしかない。このさき一生」

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確かに罪を背負ってそうな顔をしている。

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そんな時にヴァイオレットがやってくる。彼女は娘と同じ髪の色をした少女であった。しかし似ていたのは外見だけで、義手をしている上にカルボナーラもろくに作れない。娘との甘い思い出とは程遠い。

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ヴァイオレットの登場が返って娘の不在を際立たせてしまう。

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次に戯曲の原稿を代筆するシーン(8分33秒〜)に注目する。戯曲の感想を聞かれヴァイオレットはこう答える。

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ヴァイオレット「本当の話ではないのに自分が体験してるようです」

 

戯曲の内容は主人公オリーブは船が無いので父が待つ家に帰れなくなる。そこで傘と風の使いの力で海を渡って帰るというものである。

 

もちろん主人公のモデルはオリビア。そしてこのセリフから

 

リビア=オリーブ=ヴァイオレット

 

という関係が成り立つ。(ここで納得できない人はヴァイオレット・エヴァーガーデンをつまらないと思う人である。伏線とかにこだわる人は抽象的なイメージを繋げることを嫌う)

 

つまり死んだ娘に代わってヴァイオレットが主人公となり物語を完成させるということを暗示している。

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(18分07〜)

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そして湖のシーン。オーケストラの音楽と共にヴァイオレットが駆け出す。高くジャンプして落ち葉の上を歩き出す。娘の「いつか、きっと」の言葉通りに。

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奇跡が起きてオリビアは父の元に帰ってきたのである。オスカーは救われた。だから涙を流している。

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以上をまとめると

・オスカーは罪を背負っている

・ヴァイオレットが娘オリビアに成りかわる

・オリビアの言葉通りにヴァイオレットは湖の落ち葉の上を歩く奇跡をやってみせる

・オスカーは救済された

 

つまりヴァイオレットはイエス・キリストである。

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エスは水の上を歩く奇跡を起こせる。そして娘の言葉は預言である。

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ちなみにオリーブは聖書に頻繁に登場する植物で花言葉は「平和」である。

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エスは人間の罪を肩代わりできる。イエスを信じる者は救われる。ただし、一瞬で湖に落ちてずぶ濡れになってしまうが。

 

もう一度オスカーの言葉を思い出してもらいたい。

 

オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」

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オスカーにとってヴァイオレットは神さまだったのである。

 

<思ったこと>

6話より出来はいい。

(18分07秒〜)はBGMと絵が素晴らしいので感動できる。このシーンだけでもアニメが絵だけでは成り立たないことが分かる。もっと音楽を大切にすべきだ。

 

ヴァイオレットがイエスの比喩だというのは奇想天外でアホな発想と思われるかもしれない。というより自分自身でもそう思っている。でも面白いのでこのままいく。

 

今回のオモテ-ウラ図は以下の通りである。

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相変わらず愚直なヴァイオレットはオモテ族で、父の心を汲み取れるオリビアはウラ族である。湖を跳ぶ行為がウラ族へのジャンプとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン6話〜オモテ族とオモテ族〜

6話のテーマは「寂しさとの決別」

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簡単なあらすじを説明する

 

仕事で天文台へ→リオンと古文書の解読と代筆→図書館での会話→アリー彗星観測→リオンとの別れ

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6話は1〜5話と大きく異なっている。

 

異なっている点は二つ。

・ヴァイオレットとリオンがどちらもオモテ族

・手紙が出てこない

 

オモテ族は率直な言い方を好み、嘘が下手である人間、ウラ族は遠回しの言い方を好み、嘘や隠し事をする人間のことである。

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詳しくは下の稿を読んでほしい。

 

 

まず前者について

今までの話はヴァイオレットとエリカ、ダミアンとシャルロッテのようにオモテ族とウラ族がペアになって展開されていた。

 

しかし、6話に登場するリオンはヴァイオレットと同じく、率直な言い方で嘘が下手であるという点からオモテ族に分類される。

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気になったシーン

 

(14分09秒〜)

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ヴァイオレット「少し似ていますね」

似た者同士なのだからオモテ族とオモテ族である。

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オモテ族とオモテ族のペアは性格が似ているので会話が弾み、自然と仲を深めることができる。

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つまり手紙を書かずともお互いを理解し合えるのである。仲良くなるのに手紙を必要としない。これが後者である。

 

またこのことからヴァイオレット=リオンの関係が成り立つ。今回は対(⇔)ではなくイコール(=)である。

 

しかし、ヴァイオレットとリオンが仕事で出会って仲を深めるというのでは、ありきたりでつまらない。

 

圧倒的な作画とオーケストラの音色を使って描かれるのが平凡なラブコメでは話にならない。

 

よってもっと深みのあるストーリーにしなければならない。

 

そのためにはウラ族が必要である。オモテ族とウラ族が手紙を介して気持ちを伝え合うのがヴァイオレット・エヴァーガーデンの一つのテーマでもある。

 

ではウラ族は誰だろうか。それは「アリー彗星」である。彗星は人間ではないが、ここではイメージとして例えられている。アニメは芸術作品なので人間にこだわる必要はない。

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(17分08秒〜)

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二人の会話から

ヴァイオレット→彗星=ギルベルト

リオン→彗星=リオン母親

であることが分かる。

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彗星は我々から遥か遠い宇宙を流れ、出会えるのも200年に1回である。これがヴァイオレットにとってのギルベルト、リオンにとっての母親の比喩になっている。

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先ほど6話に手紙は出てこないと述べたが、実は手紙は出てくる。正確に言うと「手紙の役割を持ったもの」が出てくる。

 

それはリオンが解読した古文書の一節にある。

 

(9分16秒〜)

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「その別離は悲劇にあらず。永遠の時流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、その魂は未来永劫守られるが故に」

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絵には母親と子供が描かれている。リオンとその母親である。

 

(21分21秒〜)

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彗星を見たときヴァイオレットはギルベルトを想い、リオンは母親を想っている。そして彗星から「手紙」が届く。(ヴァイオレットの口から)

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「その別離は悲劇にあらず。永遠の時流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、その魂は未来永劫守られるが故に」

 

分かりやすく言い換えると

 

「その別れは悲しいことではない。その想いは心の中で永遠に守られ続ける。だから閉じ篭ってないで新たな一歩を踏み出してほしい」

 

リオンは母親のことを待ち続けていた。しかし、天文台で待っていても母親に会うことは永遠にない。そんなことよりも自分の夢を追いかけてほしい、というメッセージを受け取ったのだ。

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ヴァイオレットはギルベルトの不在を寂しく感じるが、命令を待つのではなく、ドールとして一歩ずつ歩み出している。

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以上からアリー彗星からの手紙によって二人に心情の変化が起こった。

 

・リオンは母親を待つのをやめた

・ヴァイオレットはこれからもドールとして生きていこうとした

 

ウラ族からの手紙でオモテ族に変化が起こる。これは1〜5話の構造と同じである。

 

(6分57秒〜)

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リオンはヴァイオレットに一目惚れする。最も自身は自覚しておらず、無意識に恋をした。

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(20分13秒〜)

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彗星を見る直前の会話で「ギルベルトに何かあったら駆けつけるのか」という問いにヴァイオレットは「あなたにどう謝罪しようか考えている」と答えられ、失恋する。

 

そして彗星が流れる。ヴァイオレットとの心のの距離も彗星と同じくらい離れていたのである。彗星(手紙)を介してヴァイオレットに振られたのである。

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つまり、彗星を見て起きた心情の変化は

 

・リオンは母親をまつのを待つのをやめた

・ヴァイオレットはこれからもドールとして生きていこうとした

・リオンはヴァイオレットを諦めた

 

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の3つになる。たった一つのシーンで3つの感情を表現しているので、彗星が流れるシーンはより一層神秘的になる。

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(23分58秒〜)

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ヴァイオレットとリオンの別れのシーン。

リオンとヴァイオレットが会うことはない。リオンもそのような趣旨のセリフを言っている。

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それでも自分と似たオモテ族の人間と出会ったことでいくらか彼に自信がついた。 

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<思ったこと>

 

1〜5話に比べて少し物足りないといった感想を持った。

 

6話は今までの話と違って、ストーリーの構造が異なっている。当然、作り方も違う訳だから労力が余分にかかる。そのせいで完成度が若干落ちてしまったのだと考えられる。

 

具体的には(7分27秒〜)の古文書を解読するシーンは長く引っ張りすぎで、(21分21秒〜)は短すぎた。アリー彗星のシーンは6話のクライマックスなのだからもう少し引っ張っても良かった。

 

(23分58秒〜)でリオンとヴァイオレットが会うことはないと述べたが、仮にギルベルトが死亡していたのならば会える可能性は上がる。似た者同士なのだから案外うまくいくのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前と戦争その1〜ヴァイオレット・エヴァーガーデン〜

ヴァイオレット・エヴァーガーデンでは名前が花に由来する登場人物が多い。 

 

それを以下にまとめる。

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5話までの主要人物の名前と花についての表である。

 

ヴァイオレットとアイリスは作中で述べられているが、その他のキャラクター(主に女性)も花にちなんでいる。

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そして、花言葉に関してもキャラクターの性格と一致するように設定してある。

 

アヤメは「良い便り」、エリカは「寂しさ」、カトレアは「優美」といった具合である。

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ただし、男性キャラクターについては花にちなんでいる訳ではなく、唯一ギルベルトのみがブーゲンビリアの花から取っている。ベネディクト・ブルーについては推測の域を出ないのでブルースターの花が由来になっているかは不明である。

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ホッジンズについては花に関するものが名姓ともに無く、名前であるクラウディアに至っては女性名である。

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男性なら通常、クラウディオなのだが公式HPを見てもクラウディアになっている。何か重要な設定があるのかどうか原作を読んでいないので知っている方がいたら教えて頂きたい。

 

次に国籍について

 

国籍はみんなバラバラで、統一性がない。そもそもCH郵便社があるライデンシャフトリヒからしておかしい。

 

「ライデン」はオランダ南西部に実在する港町で、舞台のモデルにもなっているが、「シャフトリヒ」の部分はドイツ語である。なおライデンは第二次世界大戦で爆撃を受けている。

第1話でホッジンズが「線路が爆撃に遭った」と言うシーンがある。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ライデン

 

このことからライデンシャフトリヒは多言語、多民族国家なのではないかという予想ができる。

 

このことについて次回説明する。

 

 

 実在するライデンとアニメとの比較

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CH郵便社、ライデン市庁舎、旧日銀京都支店

 

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CH郵便社

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ライデン市庁舎

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 旧日銀京都支店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン5話〜オモテ族とウラ族〜

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5話のテーマは「年齢を超えた愛」

 

シャルロッテとダミアン、シャルロッテとアルベルタの二つの年の離れた愛が描かれる。前者は恋愛だが、後者は親子の愛に近い。アルベルタは女官だが。

 

簡単なあらすじを説明する

 仕事でドロッセル王国へ→シャルロッテに謁見→手紙(恋文)を代筆→シャルロッテマリッジブルーシャルロッテの回想→本人どうしの手紙のやり取り→プロポーズ→アルベルタとの別れ

 

嫁ぐ前に育ててくれた女官との別れのシーンは江戸時代でもよくあったそうな。

 

気になったシーン

 

(8分10秒〜)

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シャルロッテが泣きながら部屋を出るシーン。

アルベルタのセリフに注目する。

「思い通りにいかないときに見せる泣き方です」

 

「思い通りにいかない」とはどういうことなのか。理由は二つ。

 

・ダミアンの手紙が代筆されたものだったから(12分00秒〜)

・結婚するとアルベルタと離れ離れになってしまうから(8分42秒〜)

 

(8分42秒〜)

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シャルロッテがアルベルタにきつく当たるシーン。泣いている理由は上の二つなのだが、ここでのアルベルタの立ち振る舞いが印象的である。アルベルタは顔色一つ変えず、ただ側に立っている。

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このシーンも含め、ヴァイオレット・エヴァーガーデンではしばしば十代の視聴者では理解しにくいシーンがある。

 

若者に対して大人のドラマを見せているのか、単に大人が楽しむアニメなのか、どっちなのだろう。

 

(12分00秒〜)

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ヴァイオレットとシャルロッテが会話をするシーン。シャルロッテのセリフに注目する。

 

「ダミアン様は"あんな言葉"を使う方ではないの」

 

「あんな言葉」とは代筆された手紙の文章のことである。

 

しかし、シャルロッテが恋に落ちたのはダミアンのぶっきらぼうで、率直な物言いに心を打たれたからである。

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ここで第2話を思い出して欲しい。

 

エリカはヴァイオレットの率直な言動(言葉の表)に心を打たれて自信を取り戻した。

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第2話のテーマは「言葉の表と裏」であり、ヴァイオレットは言葉の表の象徴、エリカは言葉の裏の象徴であった。

 

以下、言葉の表の象徴を「オモテ族」、言葉の裏の象徴を「ウラ族」と呼ぶ。

 

それを基にこのシーンを図示すると下の通りになる。  

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そして、これを第5話に当てはめると下の通りになる。

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回想でのぶっきらぼうな言葉からダミアンはオモテ族、結婚に不安を持ったり、(8分42秒〜)で本心とは裏腹にアルベルタに当たってしまう行動からシャルロッテはウラ族とした。

 

(16分56秒〜)

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ヴァイオレットのアイデアで互いに手紙を書いてやり取りをするシーン。

 

このシーンの面白いところはダミアンの手紙をもらったシャルロッテが率直な物言い、つまり言葉の表に影響を受け、シャルロッテの手紙をもらったダミアンが自信のない感じ、言葉の裏に影響を受けているところである。

 

図示すると下の通りである。

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(20分39秒〜)

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月下の庭園でシャルロッテがプロポーズされるシーン。4話のクライマックスとも言えるシーン。オモテ族っぽいストレートなプロポーズだった。

 

なお5話では手紙→直接気持ちを伝えるという流れになっているが、3話と4話では直接気持ちを伝える→手紙となっている。予想だが、6話は手紙→直接気持ちを伝えるなのではないかと思っている。

 

(22分42秒〜)

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シャルロッテとアルベルタの別れのシーン。アルベルタはドロッセル王国の宮廷女官なので、もう仕えることはない。しかし、アルベルタは「悲しいです」「もっとお側にいたかった」等の言葉は一切言わない。

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シャルロッテを気遣い、「幸せにおなりなさい」と言って送り出す。シャルロッテを想い、本心とは裏腹の言葉を使うアルベルタもウラ族に分類される。

 

第5話はウラ族であるアルベルタの愛を受け育ったシャルロッテがオモテ族に嫁いでいくという話だったとも言える。

 

<思ったこと>

 

庭園の花や手紙に添えられたバラなど花が印象的だった。花で有名なオランダがドロッセル王国のモデルかと思ったが、シャルロッテはドイツ語圏の名前だった。また、ダミアンは英語圏の名前で、フリューゲルはドイツ語で翼という意味である。  

 

ヨーロッパの国々をごちゃ混ぜにしている印象を受ける。

 

あとヴァイオレットの笑った顔を初めて見た。今後は表情が明るくなってくるのだろうか。

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このアニメは退屈なのだが、不思議と何回でも見れる。アニメではなかなか珍しいことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン4話〜美しい棚田〜

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4話のテーマは「親子の愛」

 

主人公が様々な人々の愛に触れていく中で「愛してる」を理解する、というのがこのアニメの流れになっている。 今回は同僚アイリスとその親の話なので「親子の愛」がテーマとして妥当である。

 

 

  

簡単なあらすじを説明する

 

列車でアイリスの故郷へ→アイリスの両親と会う→両親に結婚を勧められる→アイリスの誕生パーティー→アイリスは母親と喧嘩→幼馴染との過去→両親へ手紙を書く→帰りの列車

 

筋書きとしては田舎出のキャリアウーマンが帰省してお見合いをさせられる典型的な話。口では喧嘩になってしまうので手紙で本当の気持ちを伝えて無事、解決という感じである。実に単純で分かりやすい内容となっている。

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気になったシーン

 

(6分37秒〜)

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アイリスの両親と親戚が牛車に乗って迎えに来るシーン。牛車が使われていることから4話の舞台はフィリピンがモデルの土地であると予想される。民族衣装がフィリピンのものであるかまでは分かりかねる。

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フィリピンの牛車

(10分50秒〜)

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ヴァイオレットとアイリス父が会話をするシーン。満月のシーンに注目する。ここはアニメの利点が大きく出ている。

 

これが小説であった場合、「暗闇に満月が光る」「月が綺麗だった」等の描写が必要になるが、アニメでは絵を見せるだけで小説よりも速く、多くの情報を伝えることができる。

 

小説では何行にも渡るシーンもアニメではたった数秒で表現できる。

 

さらにヴァイオレットのセリフに注目する。「この景色が『大したもてなし』という言葉に相応しい気します」とだけになっている。

 

「綺麗ですね」と言ってしまうと「綺麗な月」という固定観念が視聴者に植えつけられてしまう。このワンシーンを見て「美しい満月だ」と言う人もいれば、「いや月ではなく、月に照らされた雲が美しい」と言う人もいるだろう。 

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あえてぼやかした言い回しをすることで色々な解釈ができるのである。

 

ちなみにフィリピンにはコルディリーラという世界遺産の棚田がある。牛車のシーン(6分37秒〜)もあることからカザリのモデルはフィリピンの棚田で間違いないだろう。

 

 

(8分27秒〜)、(9分54秒〜)、(14分44秒〜)、(15分51秒〜)、

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いずれもアイリスが激怒するシーン。非常に迫力のあるシーンばかりであった。最近のアニメではキャラクターが怒るシーンが減っているように思える。

 

(23分12秒〜)

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アイリスの花畑のシーン。一面に広がるアイリスの花は言葉にならないほど美しい。

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アイリスの名前の由来となった花だが、花言葉は「良い便り」「希望」である。ドールに相応しい名前である。

 

ちなみにヴァイオレット・エヴァーガーデンの女性キャラクターは全員花にちなんだ名前になっている。

 

<思ったこと>

 

随所に出てくる棚田が印象的だった。一番好きなのはアイリスがエイモンに振られるときの棚田のシーン。日本でも有名な場所はいくつかあるので行ってみたいものである。

 

 

棚田のシーンまとめ

 (8分34秒)

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(10分46秒)

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(11分22秒)

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(15分38秒)

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(18分07秒)

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン3話

3話のテーマは「良きドールとは」である。

これは教官の言葉で何度も繰り返されているので感覚で分かった人も多いだろう。

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次に3話のあらすじを簡単に説明する

 

ドールの学校に行く→成績は優秀だが代筆の授業を落とす→不合格になる→友人の手紙を代筆して追加合格する

 

これだけである。

特別驚くような展開があるわけではない。ただ学校を卒業しただけである。新しい魔法が使えるようになったとか、戦争が始まったとか、恋に落ちたとか、そういう劇的なドラマはない。

 

淡々と傷を負った少女の成長を描いていく

 

ここでいう 傷とは、両腕を失くした肉体的なダメージと感情に乏しい心理的なものの二つである。

 

そして平凡なストーリーを退屈させないような工夫として作画と音楽が挙げられる。

 

作画については(10分31秒〜)、(11分08秒〜)、(20分00秒〜)のシーンが素晴らしかった。いずれも夕暮れの美しいシーンである。

(10分31秒〜)

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(11分08秒〜)

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(20分00秒〜)

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(10分31秒〜)と(20分00秒〜)については不安そうなヴァイオレットと幼き日のルクリアが重なっている。

(10分31秒〜)

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(20分00秒〜) 

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(11分08秒)については1話と2話でも出てきたギルベルト少佐を想うシーンであり、夕暮れの景色が1話の街灯、2話のランプの灯りの役割を担っている。 

(11分08秒〜)

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次に音楽であるが、(4分59秒〜)のピアノとバイオリンの流れるようなBGMがルクリアの心の変化を表現しているようだった。

(4分59秒〜)

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(7分12秒〜)からも無印良品の店内BGMのような心地よい音楽が流れてくるが、(8分41秒〜)からは音楽を止まる。これは教官の「手紙とは人の心を伝えるもの。良きドールとは人が話している言葉の中から伝えたい本当の心をすくい上げる者」という重要なセリフを集中して聞いて欲しいという配慮からである。

(7分12秒〜)

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(17分00秒〜)も切ないメロディーでルクリアの話を引き立てるが、(18分58秒〜)からは音楽を止めている。無論、二人の会話に注意してもらうためである。

(18分58秒〜)

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<思ったこと>

機械の腕→無感情、冷徹の象徴

手紙→豊かな感情、温かさの象徴

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機械の腕では手紙を書けない。1話の冒頭でもそうだった。書けない理由は感情のない機械の腕にある。

 

だから教官の「すくい上げる」という表現がたまらなく好きだ。義手であるヴァイオレットには「すくい上げる」行為がとてもおぼつかない。機械の腕では少し難しいのだ。

 

それでもなんとかルクリアの心をすくい上げたみたいで良かった。

 

 

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン2話

ひっそりと放送されてるヴァイオレット。やっぱり世界観が感情移入しにくいのが原因だろう。あと笑いの要素がゼロなのも。

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 2話のテーマは「言葉の裏と表」

 

2話では主人公のヴァイオレットと先輩ドールのエリカが対比構造 になっている。理由は後で述べる。

 

気になったシーンについて

 

(5分00秒〜)

ヴァイオレットが初めてタイプライターを使うシーン。速く、正確に、機械のようにこなすヴァイオレットにカトレアは「もう少し、静かにね」と注意する。

 

今回のテーマである「言葉の裏と表」を匂わせるシーン。これによって視聴者は無意識に今回のテーマを理解する。テーマを理解しているからそのあとの展開もなんとなく予測できる。

 

つまり些細なシーンであるが、こういうのがあると、入り込みやすくなるということ。

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(10分10秒〜)

自室でタイプライターを打つ無言のシーン。ランプの灯りが印象的だが、似たようなシーンが1話目にもあった。

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 ↑気になったシーンの(19分52秒〜)参考

 

短いシーンではあるが、ヴァイオレットがギルベルトを想ってるのが分かる。これは1話目のシーンによって"無意識"にランプの灯り」=「ギルベルトへの想い」という図式が視聴者の頭の中で成立するからである。

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 このように繰り返し連想させる手法は名作と呼ばれる映画ではよく用いられている。

(14分15秒〜)

女の利用客が来る。依頼内容は交際を申し込まれた相手へ気品のあるロマンチックな返信であった。エリカは先ほどのミスを引きずっている。彼女の「愛してる」の言葉に反応してヴァイオレットが書くことになる。しかし、ヴァイオレットは依頼者の意図を理解していない。

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このシーンでは理解していないことを軍隊式の敬礼で表現している。

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(15分50秒〜)

先ほどの利用客が怒っている。理由はもちろん、ヴァイオレットの手紙。言葉を表面的でしか捉えららないことが原因である。彼女の泣いている理由が分からないヴァイオレット。

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(17分17秒〜)

2話目の重要なシーンの1つ。喫茶店でカトレアと会話をしているヴァイオレット。カトレアのセリフに注目。

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「言葉には裏と表があるの。口に出したことがすべてじゃないのよ。人の弱いところね。相手を試すことで自分の存在を確認するの…裏腹よね」

 

「言葉の裏と表」「裏腹」が第2話の隠れたテーマになっている。ヴァイオレットは「裏腹」の意味について考えている。

 

(19分28秒〜)

雨の中でヴァイオレットがエリカに自分がドールに向いているか尋ねるシーン。

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ここでエリカは最初に何を言おうとしたのだろうか。恐らく自分もドールに向いていないと伝えようとしたのだろう。

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しかし、ヴァイオレットの態度を見て彼女はこう告げる。「向いていない」と。

 

なぜエリカは「向いてない」と言ったのだろうか?カトレアのセリフを思い出すと「相手を試して自分の存在を確認する」となっている。

 

つまりエリカはヴァイオレットを試して本当の自分の気持ちを確認したかったのだ。そしてなぜこの仕事をやりたいのかと問う。

 

ヴァイオレットは「『愛してる』を知りたいのです」と答える。そして素直にこう続けます。

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「知りたいのです。たとえ向いていなくても。私はこの仕事を続けたいのです」

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エリカは本当の自分を確認できた。

 

(20分57秒〜)

ヴァイオレットをクビにしようという話が出る。ここでエリカはヴァイオレットをかばう。そしてヴァイオレットが一言、「裏腹です」

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ヴァイオレットが裏腹、言葉の裏と表に気づいた瞬間である。と同時にエリカが自分の裏腹に気づいた瞬間でもある。彼女が本当にかばったのは自分自身だった。

 

 

 

 

ヴァイオレットは言葉の裏と表を知らない、ストレートな少女である。

 

そのせいで周りの人間は迷惑をしている。それは女の依頼者であり、カトレアであり、ホッジンズである。

 

しかし、救われた人もいる。エリカである。エリカは言葉の裏に囚われて自分を見失っていた。だからヴァイオレットの素直な行動を心の中で羨ましく思っていた。本当の自分と彼女を重ねていた。だからヴァイオレットがクビにされそうになったとき思わずかばってしまった。

 

「言葉には裏と表がある」というのは裏だけでなく、表も大切にしなければならないという意味も含まれていた。これが第2話の隠されたテーマである。

 

ヴァイオレット↔︎エリカであり、表↔︎裏である。二人が対比になっているのが第2話の特徴である。

 

ただ対比構造がわかりづらいのはヴァイオレットとエリカの対比を暗示する要素が少ないからである。例えば、ランプの灯りがヴァイオレットの象徴ならば、水がエリカの象徴になっているとかそういうシーンを多く入れることで視聴者の無意識に対比構造が作られていく。対比が弱いから視聴者は何か物足りないとか、なんか難しいなという感想を抱く。

 

今後、このあたりが改善されるなら評価が上がっていくと思われる。

 

ちなみに雨が上がるシーン(19分28秒〜)でヴァイオレットに日の光が当たっているが、これは先ほどランプのシーン(10分10秒〜)で象徴されていた「ヴァイオレットの燃えている心」「雨の水」で弱まったことを暗示している。ヴァイオレットは少しずつ自分の意思で行動し始めていることを伝えたかったのだろう。

 

<思ったこと>

 今後もヴァイオレットのストレートな言動は続いていくだろう。しかし、作品の演出からすると彼女のそんな部分を否定していない。むしろ肯定している。彼女の変わっていく部分と変わらない部分をうまく照らしながら物語は続いていくだろう。

 

こんな感じで展開がゆっくりな割に密度が濃い作品になっている。ギャグシーンが入る余地は無く、物語の起伏も少ない。見ていて退屈になる。作画は素晴らしいんだけどね。

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン1話〜映画のようなアニメ〜

絵は綺麗だがストーリーがつまらない

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 このアニメの1話を見た多くの人がこう思ったのではないか。戦争がストーリーの背景にあるが別に戦闘アニメではない。かといって美少女が織り成す日常系という訳でもない。退屈な映画が一番しっくり来る気がする。

 

 

最初に言っておくとストーリーの展開よりも背景の美しさや登場人物の表情に注目した方が楽しめる作品になっている。

 

 一応、主人公については説明させてもらうと

 

年齢は多分17歳くらい。元軍人で「ギルベルト少佐」という人物の下で戦争に参加していた。

 そして戦争で両腕を失くしている。

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彼女の一番の特徴なのだが、

主人公のヴァイオレットはとにかく人間の感情が分からない

 

金髪碧眼で綺麗なのだが、なにぶん空気が読めないので周囲からドン引きされてる。同性から嫌われるタイプ。

 

これからお世話になる親切なご婦人に「私は亡くなった子供の代わりにはなり得ません」と言っちゃうくらい。(結局、受取拒否される)

 

 

 

 

そんな少女が郵便局の代筆業を通して、自分自身と見つめ合い成長するみたいな流れであると思う。

 

この郵便局の代筆業を「自動手記人形」という。物語のキーワードでもある。 ちなみにもう一つのキーワードは「愛してる」

 なんとなく分かったような分からないような気がする。

 

気になったシーンについて

 

 

(冒頭)

ギルベルト少佐の後ろを歩いていたヴァイオレットがエメラルドのブローチを見つける場面

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「ほら、絵綺麗でしょー?すごいでしょー?このアニメ作画すごいからみんな見てねー!!」ていう感じです。1話の冒頭はどのアニメにとっても一番重要なので当然力が入ってます。このブローチの吸い込まれる感じ嫌いじゃない。

 

 

(1分51秒〜)

手紙が美しい景色と共に風に舞うシーン。壮大なオーケストラの音楽のおかげでより視聴者の心を掴んでいる。すごいね、豪華客船とか。

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(6分08秒〜)

ホッチンズが少佐について問われたシーン。あえてホッチンズの顔を写さず、ポケットに手を入れることによって隠していることがあるのを暗示している。こういう微妙な仕草とか好きだ。

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(12分40秒〜)

ここでもヴァイオレットの表情をあえて写さない描写になっている。もしかすると感情的になったヴァイオレットをあまり写したくないのかもしれない。1話の段階ではあくまで彼女は感情を持たない少女だから。

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(19分52秒〜)ここはかなり重要なシーンなのだが、抽象的であったと思う。

 ホッジンズとの帰り道のシーンでホッジンズの

 

「君は自分がしてきたことで、どんどん身体に火がついて、燃え上がってることをまだ知らない」

 

というセリフに注目してほしい。ここで彼が言いたいことを直訳すると

 

「君はギルベルトを想うあまり、他人の気持ちに、自分自身の気持ちに気づいていないんだ」

 

となる。「ギルベルトへの想い」が比喩として「火」に例えられているのが非常に面白い。そしてそれに続く「燃え上がり」「火傷している」という比喩でヴァイオレットの心が傷ついてるのを的確に表現できている。

 

そしてそのセリフと対応するかのようにランプの灯りがヴァイオレットのギルベルトへの想いを描写している。とても素晴らしい場面である。

 

なおここでも足元を写すシーンがある。京アニは足が好きなのだろうか。

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(23分40秒〜)

ヴァイオレットが自動式人形の仕事がしたいと願い出るシーン。日の光でぼやけてるホッチンズの部屋の中で「『愛してる』を知りたい」と言ったヴァイオレットの困った表情が素敵だった。

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〈思ったこと〉

一言で言うと「美しく、そして退屈なアニメ」あまり難しく考えずに絵の鑑賞だと思って観ることをオススメする。あと主人公の名前が長過ぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻枝准と村上春樹

 

 

まず前回、麻枝准村上春樹の影響を受けているらしいと言ったが本当だった。

http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-17107.html

上記のページに麻枝がインタビューに答えているのだが、

 

 

どうやらCLANNADは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が下敷きになっている。

 

幻想世界はやはり村上春樹の影響だった。

こうなってくると「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んで、CLANNADとの共通点を探りたくなってくる。CLANNADが最高峰の文学を取り入れてると思うだけでワクワクする。

 

という訳で村上春樹を読んでいるのだがそうするとCLANNADの更新が遅れてくる。

 

なのでCLANNADの考察は気になった点をざっくり取り上げて更新しつつ、村上春樹の考察をした上でCLANNADの全体部分を分析することにした。

 

気の遠くなる作業だ…

 

 

 

 

CLANNAD第1話

CLANNAD第1話の考察をする。

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まずはじめにテレビアニメにおいて第1話は最終回以上に重要である。この第1話で視聴者をどれだけ掴めるかで今後の視聴率及び利益に繋がってくる。よって制作側も第1話は非常に完成度を高めて放映することが多い。

 

CLANNADも例外ではなく絵コンテ・演出共に石原立也が担当し、作画監督池田和美が担当している。

この二人の組み合わせはこの回と二期の最終回だけである。(アフターの最終回は山田尚子と石原が絵コンテ、山田が演出、高橋博之と池田が作画監督を担当している)

 

 

そういう事情で第1話は注意深く考察する必要がある。

 

第1話で気になった3つの特徴を挙げる。

 

・音楽が素晴らしい

・同時並行する幻想世界

・声優の技術レベル

 

音楽が素晴らしい

とにかく音楽が良かった。CLANNADを知らなくてもサントラを聴けばファンになりそうな勢いがある。それくらい素晴らしい。音楽が良いと作品自体に奥行きができる。ゴッドファーザーとか。

 

「街、時の流れ、人」や「渚」は特に完成度が高く、今後も頻繁に流れてくることが予想できる。その証拠に第1話ではそれぞれ2回ずつ使われている。

 

 街、時の流れ、人           0m1s、21m20s

渚                                    0m40s、13m17s

(mは分、sは秒)

 

OPとEDも良曲で何度も聴きたくなるレベルだった。

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 余談であるが2008年の「年越しアニソン三昧ファイナル」でラストの曲にだんご大家族が使われたらしい。年越しの家族団欒で聴くにはぴったりの選曲である。

 

主に音楽を製作したのはこの3人

折戸伸治

戸越まごめ

麻枝准

この3人の存在がCLANNADを支えている。Keyの音楽は評価が高いがこの3人の功績だろう。

 

「街、時の流れ、人」作曲したのは折戸伸治、「渚」は麻枝准が作曲した。曲の完成度もさることながらBGMの入れ方にも工夫があった。

0m40sの「渚」は街の雑音と渚の呼吸と同時に入れている。長くなるので工夫のあったBGMシーンの時間を記しておく。

0m40s、13m17s、15m7s、20m50s、21m20s

 

同時並行する幻想世界

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ここはまだよくわかってない。第1話では5m41sに一回登場する。謎の語り部と少女のみが存在する世界。恐らく何かのメタファーなのだろうけど掴めない。

というのも幻想世界でのセリフは抽象度が高く一回で理解するのは困難であるし、これを書いた麻枝准はよほどシナリオの腕に自信があるとみて間違いない。

この辺がストーリーの才能がある人との差なのだろう。

 

ところで、同時並行する二つの世界というと村上春樹が思い浮かぶ。もしやと思い調べてみるとやはり麻枝准村上春樹の影響を受けてるらしい。CLANNADも村上作品が下敷きになっている可能性が高い。自分では結構すごい発見だと思っているので今度、村上春樹を読んでみて調査したい。

 

 

声優の技術レベル

主要キャラの声優陣はレベルが高い。AIR、Kannon、涼宮ハルヒの成功によって京アニのブランドが一躍上がったのも関係しているかもしれない。

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特に、際立っていたのが中原麻衣阪口大助

中原は声が綺麗なことに加えて0m40sでの深呼吸や会話の途中にためらいを入れたりと非常に技術が高かった。特に0m52sと9m42sの「あなたはこの学校が好きですか?」や21m45sなどが視聴者に訴えかけるような表現をしていた。

 

意外に思われるかもしれないが、春原はCLANNADにおいて貴重な存在である。全体的に重く暗い内容なので一人でボケとツッコミをしてくれる春原がいてくれると視聴者は安心する。

阪口大助のツッコミ能力はCLANNADの中でも群を抜いていた。2006年に銀魂が放映してるからそこで磨かれたのだろう。

参考程度に二人の良かったシーンを挙げておく。

中原麻衣 0m42s、0m52s、9m42s、13m30s、20m55s、21m45s

阪口大助 4m51s、14m17s

 

感想

CLANNADは音楽、キャラ、ストーリー構造がしっかりしてることがわかったので考察は骨が折れそう。書き忘れたが監督の石原立也はフラッシュカットが好きで第1話だけでも5回使っている。

あと早見沙織が女子生徒役で出演している。12m7sの右の女の子である。透き通った声をしているが、まだ16歳でデビューしたばかりである。恐ろしい才能の持ち主である。ちなみに隣の女子生徒を演じた志村由美は2016年をもって廃業した。声優業界も競争が激しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CLANNAD

自分なりにアニメCLANNAD(京都アニメーション版)についてあれやこれや語りたいなと思い立ち、ブログを開設しました。拙い文章でありますが読んでくださると助かります。

 

 

CLANNADは第1期が2007年に放映され第2期が2008年に放映された。第1期: 本編22話+番外編1話+DVD特典1話。第2期: 本編22話+番外編1話+総集編1話+DVD特典1話で構成される全49話のアニメ作品である。番外編も取り上げたいところだが、最初は本編を考察していく。

 

原作はkey/ビジュアルアーツCLANNAD以外の代表作はAIRやkannonも制作した。

 

key作品は一般的に「泣ける」「感動」するゲームとして認識されている。CLANNADも同じカテゴリーの作品である。

 

 

監督は石原立也。key原作の京アニ作品の監督をしている。自身もkeyファンらしい。シリーズ構成は志茂文彦。キャラクターデザイン池田和美。この辺は京アニでもお馴染みのスタッフ布陣である。音楽は折戸伸治戸越まごめ麻枝准。keyのスタッフが担当している。

 

特に麻枝准Angel Beats!の原作脚本・音楽プロデュースとして有名。ゲームシナリオライターだけでなく作曲や作詞、脚本まで幅広い分野でその名が知れ渡っている。

 

CLANNADではシナリオライターの他に主題歌やBGMの作詞・作曲をしている。

 

能書きは以上にして次回からCLANNAD第1話をやっていく。

 

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