週休二日〜アニメと文学の分析〜

ネタバレあり。一緒に読み解いてくれる方募集中です。詳しくは→https://yomitoki2.blogspot.com/p/2-510-3010031003010013.html Twitter→@bunbunbun_245

進捗状況と今後の課題

現時点で日本、ドイツ、アメリカ方面の読み解きは進んでいる。

理由としては、

 

以上の点から日本、ドイツ、アメリカ方面は親和性が高く関連付けて読み解きが進められてきた(主にfufufufujitani氏の功績)

 

今後もこの3つの方面を中心に進めていくのが望ましい。個人的には日本とドイツ方面を読み解く予定である。

 

日本文学については以下の通りである。

漱石→「夢十夜」のみ。「こころ」もしくは「坑夫」は週休二日がやる予定

鴎外→「阿部一族」のみ

芥川→「河童」「戯作三昧」「歯車」攻略。さらざんまいの影響で意外と進んでいる

志賀→手つかず。「暗夜行路」と「城崎にて」は攻略すべきかも

川端→「伊豆の踊子」のみ。「眠れる美女」は攻略すべきかも

賢治→「銀河鉄道」「なめとこ山」「注文」攻略。「風の又三郎」「セロ弾きのゴーシュ」は週休二日がやる予定。重要作家なので引き続き読み解き進める。

谷崎→手つかず。「細雪」は攻略すべきかも

太宰→「人間失格」「斜陽」「走れメロス」「富嶽百景」。だいぶ進んでいる

堀→「風立ちぬ」「美しい村」は構造分析のみ。余裕があったら週休二日がやる予定

三島→「豊饒の海」のみ。「金閣寺yuki氏が分析中。「禁色」は週休二日がやる予定

安部公房→手つかず。「砂の女」は攻略すべきかも

村上春樹→「海辺のカフカ」のみ。現役作家なので急いでやる必要なし。

 

また近代以前の「源氏物語」「平家物語」等の古典にも取り組む必要あるが、時間かかるのでゆっくりやるべき。

 

ドイツ方面については読み解きだいぶ進んでいる。fufufufujitani氏がゲーテの「ウェルテル」「ファウスト」、ワーグナーの「ニーベルング」を攻略。週休二日がトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」「ヴェニスに死す」を攻略、引き続きマンの攻略進める。特に「ファウスト」の攻略で読み解きの幅が大きく広がった。

課題としてはグリム童話、ヘッセ、カフカ辺りである。「変身」と「城」は週休二日がやる予定。

 

アメリカ方面についてはフィッツジェラルドと映画監督のコッポラ、タランティーノが進んでいる。焼売氏が「キャッチャーインザライ」研究中。課題としてはヘミングウェイ、フォークナー、カポーティ、チャンドラー辺り。ナボコフも含めるべきかも。「武器よさらば」は研究するか悩み中。アメリカは文学だけでなく映画にも取り組む必要ある。

 

イギリス方面はシェイクスピアコンラッドの読み解きが進んでいる。課題としてはディケンズルイス・キャロルジョイス、ドイル、ワイルド、オーウェル辺り。英語圏だけあって作家の数は多い。「1984年」は「闇の奥」の影響を受けているらしいが詳細は不明。最重要なのは「クリスマス・キャロル

 

ロシア方面についてはドストエフスキーが進んでいる(「カラマーゾフ」「罪と罰」、「悪霊」をfufufufujitani氏が研究中)

課題としてはトルストイチェーホフ辺りである。「戦争と平和」「桜の園」は週休二日がやる予定。彼らは世界中に影響を与えているので重要。ただしチェーホフを除いて、長大な作品が多いので時間をかけてゆっくりやるべき。

 

フランス方面については読み解き進んでいない。ここを担当する人材が求められる。課題としてはユーゴースタンダールプルースト、フローベル辺り。戦後のサルトルカミュカフカ攻略後まで待った方が得策である。とはいえ急務という訳でもないので余裕ができたら取り組む感覚でよい。最重要なのは「レ・ミゼラブル」と「星の王子さま

 

イタリア方面については読み解き進んでいない。ダンテの「神曲」を週休二日が研究中。その他は特に急いでやる必要なし。映画監督のヴィスコンティはドイツ方面(ワーグナー、マン)の影響を確認。

 

スペイン方面については読み解き進んでいない。セルバンデスの「ドン・キホーテ」が重要。

 

その他意識の流れ系や中国の古典、ラテンアメリカのガルシア=マルケスなど課題は多い。

 

しかし、我々には日常生活があるので時間は限られている。労働や勉強で疲れた後に読み解きをするので無理は禁物である。納期はない。人生は長いので深堀りの楽しみを味わいながら進めるべき。

 

また文学ばかりだと飽きるので映画やアニメ、漫画などを間にはさんで研究していくのもオススメ。「エヴァ」は週休二日がやる予定、京アニ作品は故あって分析を中断。

 

となると人員を増やす必要がある。最近は同志が増えてきているが、欲を言えばあと5人程欲しい。一番の宣伝は各自が進めている読み解き記事である。1000人読んで1人興味を示してくれたら我々の勝利である。地道にのんびり行きましょう。

 

 

 

yomitoki2.blogspot.com

 

fufufufujitani氏を中心にTwitterを通して同志を募集し、主に文学作品の読み解きを進めています。気軽にお声かけください。

「歯車」解説【芥川龍之介】

「歯車」は1927年(昭和2年)発表の芥川龍之介の短編です。

川端康成堀辰雄ら名だたる作家が「傑作だ!」と称賛しました。しかし、普通に読むと普通に意味不明です。話らしい話のない、暗く欝々とした、死のイメージに満ちています。

 

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引用:https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%AF%E8%BB%8A%E2%80%95%E4%BB%96%E4%BA%8C%E7%AF%87-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-70-6-%E8%8A%A5%E5%B7%9D-%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/4003107063

 

あらすじ

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%AF%E8%BB%8A_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 

あらすじはウィキペディアにあります。

 

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.html

 

本文は青空文庫にあります。短編なのですぐに読めます。

 

対称構造

 

「歯車」は全体が6章で構成されています。

 

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表の通り、対称構造です。鏡のようだから鏡像構造とも言えます。1章と6章、2章と5章、3章と4章がそれぞれ対になっています。

 

「本当か?」と思っている方もいると思うので、次は章内部を詳しく見ていきます。

 

対称構造(内部)

 

・1章と6章

 

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1章と6章に関しては、多くの研究者が対になっていることを指摘していました。恐らく読んで気づいた人もいたと思います。冒頭が非常に似ているからです。

以下、対応関係です。

 

自動車に乗って結婚披露式へ向かう⇔自動車に乗ってると葬式を見かける

車内でレインコートの幽霊の話をする⇔運転手がレインコートをひっかけている

 

T君杖の柄を左に向ける⇔小道の右側に火事のあった家

西洋髪のみすぼらしい女はかつて洒落た格好をしていた⇔火事のあった家はかつて西洋家屋だった

 

右目に半透明な歯車が見える⇔右目の半透明な歯車が回りだす

 

翼の音がする⇔飛行機の音がする

 

・2章と5章

 

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スリッパの片方がない、ギリシャ神話(イアーソーン)想起⇔車のタイヤに翼がある看板、ギリシャ神話(イカロスの翼)想起

 

火事を見て不安になる⇔日の光苦しい

 

大きいネズミが出る、白い帽子のコック冷ややか⇔「Black and White」というウイスキーを飲む

 

レストランに行くが引き返す(テーブルの上にリンゴとバナナ)⇔バーに行くが引き返す(赤い光が照らしている)

 

背後で復讐の神を感じる⇔悪魔に苦しめられる

 

・3章と4章

 

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ナポレオンの肖像画を見て不安感じる⇔ベートーベンの肖像画を見て滑稽に思う

 

右目に半透明な歯車が見える⇔旧友の教授の左目から出血

 

停車場で大学生と年増の女⇔カフェで恋人のような息子と母親

 

遠くから見ても緑色のドレスのアメリカ人女性⇔遠くからだと綺麗だが、近づくと醜い断髪の女

 

夢十夜

 

「歯車」を作る上で、芥川が参考にしたのが漱石の「夢十夜」です。漱石は芥川の師匠に当たるので、お手本にしたのでしょう。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2152967034491694801

夢十夜」も全体が対称構造となっています。幻想的で暗い雰囲気も歯車と似ています。歯車は夢十夜の後継作品なのです。

 

とはいえ、漱石が10章なのに対し、芥川は6章です。単純に数で考えれば漱石の方が凄いです。3個のペアより5個のペアを作る方が大変に決まっています。

 

技術とは常に進歩しなければなりません。

 

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引用:https://www.apple.com/jp/iphone/

「昔のほうが凄かった」と言う人は多いのですが大抵錯覚です。昨日より今日が、今日より明日が良くなっていかなければ駄目です。

 

小説も同じです。

芥川も漱石が積み上げたものの上に新たに積み上げようとしています。小説の技法もまた常にアップデートされていきます。

 

 流れを作る工夫

 

芥川が考えたのは「流れを作る工夫」でした。

 

夢十夜」は確かに構成的でした。その反面、個々の話がバラバラになってしまうという欠点も抱えていました。要するに、全体としての流れが悪いのです。

 

そこで「歯車」では、章と章の間に共通要素を結ぶことで流れを作っています。

 

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3-4間は元々対応しているからやる必要ないと思うのですが、几帳面に結んであります。


芥川は「夢十夜」の対称構造に気づくと同時に、その欠点も発見しました。そこから改善方法を考え、生まれたのが「歯車」です。まさに技術のアップデートです。川端や堀が絶賛したのも恐らくこの点です。

 

10章から6章に減らしたのは難易度が高すぎたからでしょう。対句をやる上に共通要素を結ぶとなると、いかに芥川といえど10章やるのは無理だったようです。6章でも偉大ですが。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2154674856375089701?&page=2

 

黒澤明の「夢」も「夢十夜」の後継作品です。実は黒澤も流れを作る工夫をやっていました。芥川は黒澤にさきがけていたのです。最も、黒澤が「歯車」を読めていたかは定かではありません。

 

話らしい話のない

 

「歯車」はガチガチの構造から分かる通り、かなり力を入れた作品です。病的なまでにこだわっています。その一方で、物語全体は支離滅裂としています。何かあると思って読み込もうとすると、闇に引き込まれてゲシュタルト崩壊しそうになります。

 

なぜこうなってしまったのでしょうか。

作者の精神状態もさることながら、自分の才能以上のことをやろうとした結果、ストーリーが崩壊してしまったと考えられます。

 

例えば、「戯作三昧」では対句こそ多いものの、全体としては自然な三部構成になっています。小さいながらも綺麗にまとまっています。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2155973373396833601

 

また「河童」では「ガリバー旅行記」を下敷きにしていますが、ガチガチに対応させているわけではなく、物語に重点を置いています。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2155758062945218501

 

西洋文化の吸収


どうも、芥川は頑張りすぎてしまったようです。

 

芥川が生きた日本では、西洋文化流入に伴い、江戸時代までの絶対的価値観の喪失が発生しました。いわゆるニヒリズムです。

 

これを解決すべく明治以降の作家たちは日本文化と西洋文化の狭間で苦しみ、死んでいきました。芥川もその一人です。

 

過去を失った日本を何とか救おうと、必死に新しい価値観を作ろうとしますが、結局失敗してしまう。「歯車」の世界観はまさに芥川の、近代知識人たちの絶望そのものだったのです。

 

「歯車」のラストで主人公の右目に映る歯車が回りだします。歯車は近代化(工業化)の象徴です。それが回りだす、つまり元には戻れない。近代化を止めることはできない。そして主人公は「殺してくれ」と願う。苦しいですね。

 

結論から言って、西洋文明の理解に必要だったのは西洋の宗教、キリスト教の理解でした。芥川もなんとなく直感で分かっていたようで、キリシタンを題材にした作品を書いています。現に、「歯車」でもリンゴ(=原罪の象徴)が出てきたり、聖書会社の老人が出てきます。ただ核心部分にたどり着けず、苦しんでいます。

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引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4

 

キリスト教理解に必要なのは、聖書ではなく「三位一体教義」を理解することでした。

 

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特に、聖霊の概念は日本人にはイメージしづらいです。

 

しかし、芥川が発狂しそうになるまで頑張ったことで、後輩たちが西洋文化の吸収に成功します。彼の努力は無駄ではなかったのです。

 

「さらざんまい」との関係

 

2019年に放送されたアニメ「さらざんまい」は芥川の河童と戯作三昧を下敷きに、人と人とのつながりを描いた作品です。監督はウテナピングドラムで有名な幾原邦彦さんです。

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引用:http://sarazanmai.com/

 

さらざんまい6話で歯車が出てきます。春河がすり潰されそうになる奴です。

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©2019イクニラッパー/シリコマンダー

ただそれだけで、特に物語には関係なさそうに見えます。

 

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さらざんまいの解説記事です。読めば分かる通り、さらざんまいの全体構成は歯車と同じ対称構造です。

 

上の記事を参考に章立て表を作ってみます。

 

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参考:https://matome.naver.jp/odai/2156112694947844001

綺麗な対称構造です。

6話の真ん中でちょうど折り返せるようになっています。

 

幾原監督は「歯車」の構造が読めています。だから6話で歯車を登場させました。そして「歯車」は6章構成です。優れた読み込み能力です。

 

ちなみに、流れを作る工夫は行っていません。そこまで凝る必要はないと判断したのでしょう。賢明です。

 

さらざんまい、構成力のある奥深いアニメだと思うのですが、最終回は少し慌ただしかったです。セリフもかなり多く、ギリギリ時間内に間に合わせた印象があります。

 

こうなると「なんで2クールにしなかったの?」「せめてあと1,2話増やすべきだった」という意見が出てきそうです。大人の事情があったにせよ、11話にこだわった理由があります。

 

まず2クールで対称構造を作るのは難易度が高いです。だいたい26話前後あるので、10個以上は対を考えなくてはいけません。恐らく無理です。例えば、小説では長編になればなるほど全体構成が緩くなります。作者の才能は関係ありません。そういうもののようです。代わりにキャラ配置を徹底します。

 

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12話や13話では駄目なのか、に関しては6話をちょうど真ん中にしたかったからでしょう。理由はもちろん歯車を登場させるためです。

 

という感じで、色々考えられるのですが、一番の理由は「芥川龍之介への敬意」です。芥川は短編の名手として知られる作家です。彼の作品のほぼすべては短編小説です。(「邪宗門」という長編を書こうとして挫折しています)

 

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引用:https://www.shinchosha.co.jp/writer/619/


そんな彼への尊敬を表現するために、できるだけコンパクトに作ろうとしました。さりげないですが。

 

 <参考>

matome.naver.jp

 

西洋文化の吸収がだいたい完了するのが「豊饒の海」です。

 

 

dangodango.hatenadiary.jp

 

ピングドラム」では「さらざんまい」ほど構成凝っていません。理由は2クールだからです。その分キャラ配置にはかなりこだわっています。少々エキセントリックですが。

 

 

 

 

「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を見たの巻

(以下、ネタバレします。ご注意下さい)

 

 

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©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

 

 

謎多き女性

 

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©2018 鴨志田 一/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/青ブタ Project

牧之原翔子は中学生です。心臓が悪くて入院しています。

 

しかし、大人になった牧之原翔子もいます。未来からやって来たそうです。理由はこれから起きる事故で死ぬ主人公を救うためです。

 

その後色々あって、主人公を過去の世界に送ります。夢を見るとかなんとかで行けるそうです。

 

ラストで死んだはずの翔子が転生しています。

 

 

 ちょっと難しい?

 

 設定に無理があります。

 

夢を見る云々で過去に行ったり、転生したり、と訳分かりません。もしくは私の理解力が無いか、です。「今のはどういう意味だ?」と考えながら見てたので。原作ではもうちょっと丁寧な説明があるのではないでしょうか。

 

ぶっちゃけ文句の付けどころなのですが、何か理由がありそうなので考えていきます。

 

涼宮ハルヒの消失」と「傷物語

 

「青ブタ」の登場人物は、「涼宮ハルヒシリーズ」と「物語シリーズ」を下敷きにしています。二つの作品の特徴を活かしたハイブリッドな作品を目指したのがこの作品です。今回のストーリーに関係してくるのは「涼宮ハルヒの消失」と「傷物語」です。

 

と言えば聞こえはいいですが、難易度が上がるので無理が生じます。急にタイムリープするだなんて言われてもびっくりですから。未来の組織に所属している、とかだったら分かりますが。(あと主人公の言動が若干古い)

 

もう一つ、ハイブリッドは欠点を無くすのに効果的な代わりに、長所が薄まります。「青ブタ」はハルヒとかと比べると、引き込まれる感じは弱いですから。

 

 

dangodango.hatenadiary.jp

 

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 しかし、登場人物とても魅力的です。それぞれのキャラについては以前やったので、今回は牧之原翔子に注目していきます。

 

消失

 

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牧之原翔子は朝比奈みくると対応しています。

 

高校生と未来からきた大人版の二人のみくる

中学生と未来からきた大学生の二人の翔子

 

 みくるは、胸に黒子がある

翔子は、胸元に傷がある

 

みくるは、主人公を過去で待っている

翔子は、主人公を過去へ送る

 

最後のは対応というより、対句です。

 

傷物語

 

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翔子は忍野忍と対応しています。

 

忍は、心臓を抜き取られていました

翔子は、心臓を患っていました

 

忍は、主人公の血を吸って生きながらえます

翔子は、主人公の心臓を移植してもらって生きながらえます

 

忍は、主人公に自分を殺すよう仕向けます

翔子は、主人公に自分を(間接的に)殺すよう仕向けます

 

忍は、ラストで無害で無表情な残りかすのような存在となり主人公の血を吸っています

翔子は、ラストで転生して笑顔で主人公を振り返ります

 

これも最後のは対句です。この対句が恐らく最重要ポイントです。

 

なぜ下敷きにしたのか

 

そもそも、なぜこんなオマージュをする必要があったのでしょうか。魅力的なキャラにはなりましたが、作品の面白さにはつながるとは限りません。

 

思い返すと、「青ブタ」は「自分と他者」との関わりを描いてきたアニメでした。

 

ネットであらぬ噂をウワサを立てられ孤立する咲太、有名人であるがゆえクラスで距離を置かれる麻衣、LINEでいじめられ不登校になる花楓、周りの目を気にする古賀、姉と比較されるのどか、裏垢で自撮りを投稿する双葉。

 

SNS関連のものが多いですね。こうした人間関係のストレスから思春期症候群を発症します。

 

自己の内面

 

しかし、「ゆめみる少女の夢を見ない」では「自己の内面」がテーマになっています。翔子の思春期症候群は「成長したくない自分」と「成長したい自分」が分離したことが原因でしたから。

 

「消失」では、キョンが自問自答してSOS団との関わり方を変えます。「自分ともう一人の自分」です。自分の内面を見つめ直すのです。長門の物語が強調されがちですが。

 

選択すること

 

では、「傷物語」を下敷きにしたのはなぜでしょうか。

 

恐らく、「みんなが不幸になる選択への批判」です。

 

咲太は麻衣さんも翔子さんもどちらも救いたい。しかし、どちらか選ばなければなりません。決められなかった結果、麻衣さんが死にます。みんなが不幸になります。最悪の選択です。

 

傷物語」では、阿良々木くんが忍と羽川たちのどちらも救おうとした結果、みんなが不幸になる選択をします。最悪の選択です。

 

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引用:https://www.kango-roo.com/sn/k/view/3539

「ここにいるみんな全員救いたいんだ!」っていうのは綺麗ごとです。できるのならそうするに越したことありませんが、現実ではそう上手くいきません。優先順位つけて選択しなければいけません。

 

ご都合主義

 

だからラストの翔子の笑顔は「誰かを捨てて誰かと生きる選択の肯定」です。「阿良々木くんへの批判」とも取れます。搾りかすになった忍と転生して笑顔になった翔子。結局3人生き延びたのは、ちゃんと麻衣さんとの生きる道を選択できた(翔子さんを捨てた)咲太へのご褒美です。

 

つまり、綺麗ごとを否定するためにご都合主義をしています。矛盾しています。訳分かりません。

 

「ご都合主義だ!」「幼稚なハッピーエンド」とか言われそうですが、私は良い終わり方だと思います。良いじゃないですか、ご都合主義。綺麗ごとより数倍マシです。覚悟決めて残酷な選択をしたからこそ、あの笑顔が嬉しくて、切ないです。

 

エンディングテーマ

 

エンディングの曲は感傷的で好きなのですが、映画館で聴くとより切なく感じました。オープニングは流さなくて正解ですね。雰囲気違いますから。

 

 余談

 

初っ端からテレビ版の続きが始まるので、初めて見た人はびっくりしたかもしれない。びっくりしたといえば、麻衣さんが轢かれたシーンで音が急に大きくなったのは心臓に悪かった。

 

結局、翔子が「成長したい自分」と「成長したくない自分」を切り離したことと未来からきた翔子が同一人物になる理屈が分からなかった。「咲太の心臓の翔子」と「麻衣の心臓の翔子」と「転生した翔子」が全員違うから混乱した。

 

色々言ってきたが、まだ一回見ただけなので偉そうなことを言ってはいけなかった。少し時間空けてもう一遍見返そうと思う。

 

 

最後に、隣の高校生が号泣していた。

 

<関連>

dangodango.hatenadiary.jp

 

 「消失」も雪の降る中、自己の内面を見つめます。音楽も切ないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オランウータンの尻子玉

先日、エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」を読んだ。密室殺人を題材にした世界初の推理小説とのこと。

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)

 

 

読んでみると普通に楽しい。

 

ただ、冒頭の「分析能力が〜」という謎の能書きが気になった。ちょっと長ったらしい。チェスの話まで脱線するし。書く必要あったのか。

 

さらに文中に「上手というのは、通常構成的ないし統合的能力の現れで、〜」とある。

 

展開としては、その後に事件が発生し、殺人現場の様子やら近くにいた人の証言が述べられる。

 

恐らく、これらの断片情報を分析・抽出し、統合することで犯人を導き出すという流れが冒頭で暗示されているのだろう。

 

matome.naver.jp

コンラッドの「闇の奥」である。

 

「モルグ街」は1841年、「闇の奥」は1899年。(ちなみにシャーロック・ホームズが初登場した「緋色の研究」は1887年)

 

fufufufujitaniさんが指摘するように「闇の奥」の登場人物統合戦略は「モルグ街」から来ていると思われる。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2146672550733801101

モルグ街では登場人物の証言や状況証拠といった断片情報を統合して、犯人のオランウータンにたどり着く。

 

闇の奥では行く先々で出会う登場人物の特徴が統合して、人類の厄災であるクルツにたどり着く。

 

クルツの身長は2メートルくらいある。オランウータンはそこまで大きくないが、似てなくもない。クルツ=オランウータン

 

インド諸島の奥地にいたオランウータンを連れてきたのは船乗りで、闇の奥の語り手マーロウも船乗りである。コンラッドが下敷きにした、とまでいかなくともアイデアのヒントにはしたと考えられる。

matome.naver.jp

そして「グレート・ギャツビー」である。

 

グレート・ギャツビーは闇の奥の後継作品で、主人公の人格がクルツ同様、他の登場人物たちの人格を統合したものになっている。

 

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引用:https://matome.naver.jp/odai/2151906038411081501/2151906912812579003

さらには、作品自体が過去の文芸作品をいくつも下敷きにして統合されたものである、という二重の意味で統合戦略がなされている。

 

先ほどのNAVERまとめによると名作5本分の統合になっている。どうもこれに「モルグ街の殺人」も下敷きの一つに加えて、6本になりそうだ。

 

グレート・ギャツビーでも殺人が起きる。デイジーがマートルを轢いてギャツビーと一緒に逃げる。そのギャツビーも最後に死体となっている。誰が殺したのかは断定できない。

 

そもそもこの小説自体、語り手ニックの視点から曖昧な断片情報しか出てこないので犯人が特定できない。ホームズもいないのでどうしようもない。

 

フィッツジェラルドのことだからもっと分析すれば元ネタがまだまだ出てくるかもしれない。

 

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モルグ街、闇の奥、グレートギャツビー比較表

 

なんでこんな話をしているかというと、放送中の「さらざんまい」も元ネタがたくさんあるアニメだからである。

 

輪るピングドラム」の解説やった時、幾原監督は宮沢賢治に似てると思ったのだが、下敷きをいくつも重ねたがる感じフィッツジェラルドに似てなくもない。

 

(ウテナもオマージュいっぱいあると思うのですが確信がありません。幾原マニアの方どうでしょうか)

 

そして賢治とフィッツジェラルドは同い年なのが面白い。単なる偶然か、それとも村上春樹さん経由で間接的に似てる、という可能性も考えられる。

 

「さらざんまい」も芥川の「河童」をはじめ下敷きが何枚も出てくる。まあ下敷き何枚も重ねてるから凄い!というとそういう訳じゃないのだが、その辺は最後まで見て判断する。

 

 <参考>

matome.naver.jp

熱心なサラザンマーは絶対に読むべし

 

 

dangodango.hatenadiary.jp

 こちらは「ピングドラム」です。

 

飽和するアニメ

「暇なのでアニメについて話していこうかなと」

 

「唐突やな」

 

「別にええやろ」

 

「ええけど」

 

「今期で一番面白いと思ったのは『かぐや様は告らせたい』」

 

「その心は」

 

「頭空っぽで楽しめるから」

 

「それは貶してるんとちゃうんか」

 

「いや褒めてる。シンプルなのがええねん。最近の作品はどうも難しいことをやろうとしたり、テーマを詰め込みすぎてパンクしている作品が多いような気がしてならん」

 

「だけど難しいことやらんと人々を感動させることなんてできないやろ」

 

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引用:http://chemistry1.juniorhighschool-science.net/solution/solubility.php

「これはなんぞ」

 

「溶解度のグラフや。理科の実験で水に食塩やミョウバン入れたり、中学校で習わんかったか」

 

「それは分かっとる。これがどうアニメと関係あるんや」

 

「アニメがパンクしているのを例えるなら飽和している状態のことで、つまり一定量の水に対して色々なものをどかどか入れすぎてるのでは、ということや」

 

「水を増やせばええやん」

 

「水を増やす=話数を増やすということなんやが、深夜アニメは基本1クール12話で2クールやらしてくれることはそうそうない」

 

「じゃあグラフにあるように加熱して水の温度を上げればええやん」

 

「水を沸騰させる=物語のボルテージを上げるということなんやが、作画や脚本にどれだけ力を注いでも、いまいち盛り上がらなかったアニメが数多存在することを考えると並大抵の作業ではないと思われる」

 

「ちょっと前にやってた『色づく世界の明日から』が典型的やな」

 

「映像も音楽もキャラクターも良いのに、内容詰め込みすぎて飽和しとった」

 

「12話で魔法やら過去のトラウマやら人間関係やらを描くのは無理がある」

 

「本当は2クールでやる予定だったのに1クールになってしまった、というウワサもあるそうな」

 

「世知辛いな」

 

「絵がきれいなだけにもったいない気持ちになる」

 

「こういう例は過去にもあったようで」

 

「はるか昔にワーグナーの『ニーベルングの指環』という15時間くらいあるオペラがそれに当たる」

 

「ゲルマン伝説、宗教、貨幣など内容を盛り込みすぎたのが原因やな」

 

「こちらの解説に詳しく書かれている」

 

matome.naver.jp

 

「あとはこんな例もある」

 

 

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引用:https://exam.fukuumedia.com/rika1-12/

 

「これはなんぞ」

 

「再結晶や。グラフの通り、加熱した水溶液を冷やすとその分だけ溶けてた物質が析出するんや」

 

「だから、それのどこがアニメと関係あるんや」

 

「さんざん大風呂敷を広げておいて、最後間に合わんくて畳みきれなかったみたいなアニメあるやろ」

 

「おう」

 

「極限まで高まった物語のボルテージが最後の最後でイマイチな終わり方をさせられると急激に冷めるんや。そして飽和する。この現象を再結晶に例えた」

 

「具体的にはAngel Beats!とかか」

 

「あれも面白いんだけどな」

 

「あの作品はノスタルジックかつエキサイティングな演出で、緻密な脚本と少年少女がイデオロギーに対して絶妙にドラマツルギーで…」

 

「何を言うとるんや」

 

「こう書くとなんか偉いこと言ってる風に見えるやん」

 

「カタカナ言葉並べてるだけで大したこと言うてないやろ」

 

「せやで」

 

「冗談はさておき、やはり安パイでいくなら溶かす物質の量を減らす=内容を詰め込みすぎないに限る」

 

「なんか寂しい結論になったな」

 

「そうか。現に『かぐや様』は内容こそ薄いが、キャラクターの喜怒哀楽やらちょっとした掛け合いやらが面白くて人気が出てる」

 

「物語の余白を楽しむというか、ある程度余裕があるアニメを見たいという気持ちは分かるな」

 

「あと出てくる女の子が可愛い」

 

「...」

 

「なんや」

 

「いや...そういうところはオタクなんやなと」

 

「ほっとけ」

 

「オタクはほっといて、テレビアニメは構成よりキャラ重視なのは『青ブタ』を見て分かったしな」

 

 

dangodango.hatenadiary.jp

 

「アニメはキャラ戦略が命やな」

 

「せやな」

 

「ごちゃごちゃ言ってきたが、今回伝えたかったのは、作品作るうえで大切なんは盛り込めるテーマの溶解度(限界値)をわきまえることで、『無理なもんは無理』と開き直る精神が大切っちゅうことや」

 

「分かっててもそれができない実情もあるわけなんだが」

 

「それに関しては、どうにもならん」

 

「冷たいな」

 

「しゃーない」

 

「言いたいことは大体終わったけど、なんかあるか?」

 

「他に気になったアニメは?」

 

「『夜は短し歩けよ乙女』というのを見た。湯浅監督はデビルマンのリメイクで知ってたけど、思ったよりもファンタジーだった。ちょっと演出のやりすぎでヤク中の幻覚かなと思った箇所もあったけど、ドタバタ感が大学生っぽくて面白かった」

 

Twitterでは『どろろ』と『モブサイコ』が人気みたいやけど」

 

「見てない。漫画読んだしええかなと」

 

「適当やな」

 

「他は?」

 

「展開予想はせんのか?」

 

「やろうと思ったけどめんどくさくなったからやめた。次やります」

 

「なまけもんが」

 

「やる気が出なかったからしゃーない」

 

「という感じで」

 

「今回はこの辺で」

 

「さようなら」

 

 

 

 

 

 

 

SAOについて

分析は面倒なのでやらない。感想だけ置いておく。

 

SAOというアニメがある。ゲームの世界で主人公が剣で戦うのだが、中二病全開で正直痛い。十代向け作品。大人になってから見るもんじゃない。

 

でも、凄い人気で4クールでアニメやってる。この作品が人気だと聞いて、「やはり日本人の特攻精神は不滅なんだな」と思った。

 

SAOのキリトくんは日本文化特有の「死ぬために戦う」キャラ。真田幸村とか特攻隊の末裔である。剣の腕は最強。でも戦術は凄くても戦略がない。チームプレーができないから敵の集団に一人で戦う。個人戦術が凄いので勝てるが、最後は自分を庇ったアスナを死なせてしまう。この辺はるろうに剣心に似てる。美しいけど、もう少しスマートに戦えた気もする。

 

もっと言うと日本軍に似てる。一人一人の兵隊の質は高かったのに戦略が無くて戦争負けた。キリトくんが一人で無双するのはカッコいいがスマートではない。もっとも劇場版辺りからチームプレーするようになったが。

 

アインクラッドの最初のボス戦でリーダー的存在が無茶な突撃して死ぬ。彼はこのゲームのβ版をやっていた。つまりゲームについての知識が他の人よりもあった。それなのに何もしなかった。当然、知識のない人は死んでいく。そのことに責任を感じていた。死んでいった人たちに申し訳なく思っていた。

 

その償いとして死ぬ。死んで楽になろうとする。まさに「死ぬために戦う」である。もっとも死んだところで事態は解決しない。キリトくんが「うおおおおお!!」となるだけである。

 

そして彼と同じ十字架をキリトくんも背負ってる。

 

彼はあるギルドに加入する。ゲーム内のレベルが低い人たちだったので、気を遣って自分のレベルは隠していた。しかしこれが原因でギルドは全滅してしまう。戦犯である。忖度した結果が部隊の全滅。まさに大日本帝国陸軍

 

適切な進言ができる職場環境じゃなかったばかりに何万人の兵士が命を落としたか。気づいていても言い出せないあたりが日本の組織のダメな感じする。

 

対照的なのが黒幕の茅場晶彦。彼には戦略がある。自分の死んだ後の世界のことを考えて行動している。もちろん多くの人々を死なせた悪い奴だが、現に彼のフルダイブ技術で救われた命もある。SAOの美点は茅場を完全な悪者にしなかったことである。剣振り回して「カッケー!!!」ではない。

 

そういえば彼はゲーム内でも血盟騎士団というギルドを組織しており信頼も厚かった。騎士団の中には悪い奴もいたが集団を組織して敵と戦う点ではキリトくんより戦略がある。

 

彼の事業は菊岡さんや後輩たちに受け継がれる。キリトくんも意識している。自分には無いものがあるから。茅場は自殺こそするが、その後もバーチャル空間漂ってるし、戦略的撤退と言った方が良さそう。

 

個人的には菊岡さんたちの出番をもっと増やして欲しい。まあそんな見込みは無さそうではある。

 

アリシゼーションは訳わかんなくなってるが、バカに出来ない作品である。今、キリトくんに夢中になってる十代の若者が大人になって茅場たちの良さに気づけたら、それだけでもこの作品の意義があると思う。

 

「死を覚悟して戦うキリトさんカッコいい!!」だと元も子もないが。

 

昔は「死なないゲームなんてぬるすぎるぜ」とか抜かしてた奴が「戦うんじゃない。勝つんだ」と言うようになってるので、人間成長するもんだなーと思ってる。

 

 

 

 

小林秀雄と中二病

文芸評論家の小林秀雄がこんなことを言っていた。

 

若い人々から、何を読んだらいいかと訊かれると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。(中略)すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何も読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。だが嘗て僕の忠告を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。(中略)途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものにまず触れて十分に驚くことだけが大事である。

              (引用:「トルストイを読みたまえ」)

 

なぜトルストイなのかに関しては答えていない。あいまいな文章である。自分で考えろということか。トルストイとはどんな作家だったのか、戦争と平和で何を伝えたかったのか。この部分について考えなければ、なんの意味も持たないアドバイスである。

 

また、彼はこんなことも言っていた。

 

             

1、「つねに第一流作品のみを読め」  

「いいものばかり見慣れていると悪いものがすぐ見える、この逆は困難だ。」

 

2、「一流作品は例外なく難解なものと知れ」

「一流作品は(中略)少なくとも成熟した人間の爛熟した感情の、思想の表現である。」

 

3、「一流作品の影響を恐れるな」

「真の影響とは文句なしにガアンとやられることだ。こういう機会を恐れずに掴まなければ名作から血になるものも肉になるものも貰えやしない」

 

4、「もしある名作家を択んだら彼の全集を読め」

「そして私達は、彼がたった一つの思想を表現するのに、どんなに沢山なものを書かずに捨て去ったかを合点する。」

 

5、「小説を小説だと思って読むな」

「文学に憑かれた人には、どうしても小説というものが人間の身をもってした単なる表現だ、ただそれだけで十分だ、という正直な覚悟で小説が読めない。」         (引用:「作家志願者への助言」)

 

 

1~3については特になし。

 

気になるのは4と5である。

 

「彼がたった一つの思想を表現するのに、どんなに沢山なものを書かずに捨て去ったかを合点する。」

 

その作家が何を書き、何を書かなかったのかを知れということである。読書をする上で、「何が書いてあるか」に焦点が集まりやすいが、「何を書いていないか」に注目することでより理解が深まる。

 

逆に言えば、このポイントさえ掴んでいれば別に全集を読む必要はない。あんな重いもの持ち運べるか。

 

5についてさらに詳しく引用する。

 

文学志望者の最大弱点は、知らず識らずのうちに文学というものにたぶらかされていることだ。文学に志したお陰で、なまの現実の姿が見えなくなるという不思議なことが起る。(中略)文学に何んら患わされない眼で世間を眺めてこそ、文学というものが出来上がるのだ。文学に憑かれた人には、どうしても小説というものが人間の身をもってした単なる表現だ、ただそれだけで充分だ、という正直な覚悟で小説が読めない。

(引用:「作家志願者への助言」)

 

 

読書家に陥りがちな現象で、好きな作家に酔いしれるあまり言動を真似したり、わざと古風な文体を使ってしまう人々がいる。中二病の一種である。

 

彼らは往々にして、難解な作家を好む。しかしながら中身は読んでいない。作家の権威を利用して自分を装飾してばかりいる。「トーマス・マンを読んでいる自分が凄い」「三島由紀夫を読んでる自分が凄い」「黒澤明を見てる自分が凄い」

 

作家の何が凄いのかという理由については、ちょっと難しい言葉を使いながら抽象的にあやふやに語ってごまかす。答えられるはずがない。中身を読んでいないのだから。

 

では、小林秀雄は?

 

昔、彼の文章を一回読んだことがある。とにかく難解な言い回しで、曖昧模糊な言葉をこねくり回していた印象だった。はっきり言って嫌いである。小説ならともかく評論の文章ではなかった。しかし、偉い学者は「小林は素晴らしい」と絶賛する。数年前のセンター試験に出て話題にもなった。いまだに彼の権威が存続している証拠である。

 

小林が言っていた通り、一流の文学は難解なものである。それが批評されることで、さらに難解になる。一般読者からすればたまったもんじゃない。

 

ただ当時の文学青年はそのような文章に熱狂したそうで、いつしか小林は「知の巨人」と呼ばれるようになった。彼らのうち何人かは文芸評論家になり批評を書く。

 

かつて小林に熱狂していた青年はどんな批評を書くだろうか。当然、憧れの人物の文体を真似るであろう。小難しく、装飾過剰な文章を。

 

「作家志願者への助言」を読んで思ったのが「お前が言うんじゃねーよ」だった。「文学を志したお陰で、なまの現実の姿が見えなくなるという不思議が起こる」

 

不思議も何も小林自身の文章が招いた結果である。(全部とは言わないが)

 

ともかく、小林秀雄を崇拝する中二病のせいで文芸評論は小難しくなってしまった。中身は空っぽだが外面はやたら豪華な文章が量産された。彼らは憧れの知の巨人の真似ができて大満足だろう。被害を受けたのは後世の我々である。

 

中二病も青年のうちなら可愛いものだが、大人になっても引きずると重症化する。

 

「文学に憑かれた人には、どうしても小説というものが人間の身をもってした単なる表現だ、ただそれだけで充分だ、という正直な覚悟で小説が読めない。」

 

素晴らしいお言葉である。