アニメの感想など。

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涼宮ハルヒの消失~エヴァの消失~

劇場版涼宮ハルヒの消失は大人気作となったテレビ版の続編であり、当時としては異例の興行収入を誇った作品である。

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人気だけではなく、日本アニメ史的にも重要な作品である。涼宮ハルヒが後のアニメ与えた影響は大きい。

 

よって解析して内部構造をしっかり紐解く必要がある。解析せずに「あー面白かった」で終わらすには惜しい作品である。

 

 

タイトルの意味

 

この映画は題名の通り涼宮ハルヒが消失、つまりいなくなってしまうのか、というとそうではない。何者かによって一変した世界の中でハルヒは別の高校の学生になっていた。

 

ではなにが「消失」したのか?

 

以前述べたようにエヴァとの関係性から紐解いていく。

 

dangodango.hatenadiary.jp

 

 

簡単に説明するとハルヒエヴァ(初号機)+アスカで作られたキャラクターである。

 

そして消失のハルヒを見てみる。憂鬱と比べて髪が長くなっている。もっと言うと、エヴァのアスカに近づいている。制服は北高ではないし、SOS団団長でもない。

 

改変後のハルヒに世界を変える力はない。憂鬱でハルヒはアスカとエヴァ(初号機)の言い換えだと説明したが、この世界のハルヒはアスカの要素しかない。

 

ハルヒからエヴァの要素がごっそり抜け落ちている。

 

ここで以前、紹介した涼宮ハルヒエヴァを比較したキャラクター構成表に注目する。

 

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これが改変後の世界になると以下の表になる。

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表の涼宮ハルヒの項からエヴァが消えている。消失している。

 

涼宮ハルヒの消失とは、「涼宮ハルヒ(の中のエヴァ)の消失」というタイトルである。

 

ところでエヴァの最終回にエヴァネルフもない平和な日常が出てくる。幼馴染のアスカがいて、転校生のレイが出てくる世界。シンジはそれを「あったかもしれない世界」と言ったが、あの世界を長編映画にしたのが消失である。

 

 

 

キョンの精神世界

 

クライマックスでキョンの精神世界のシーンがある。キョンはもう一人の自分に問われる。自分の行動の矛盾を指摘される。これはエヴァでたびたび登場するシンジの心の葛藤に対応している。シンジもキョンももう一人の自分に苦しむが最終的にそのままの自分を受け入れる。

 

消失は長門の物語と思われがちだが、メインはキョンの成長物語である。何だかんだ言ってハルヒSOS団が好きだった自分を受け入れるまでの物語である。シンジがエヴァパイロットとしての自分を受け入れたように。

 

 

 

エヴァとの違い

 

エヴァと消失の違いは元の世界に帰ってきてからのヒロインの態度にある。

 

旧劇のラスト、シンジとアスカは隣で眠っている。シンジに首を絞められたアスカが一言「気持ち悪い」

 

消失はキョンが寝ているベッドの脇でハルヒが寝袋で寝ている。キョンに顔を撫でられて跳ね起きるハルヒキョンが目を覚まして安心しているようである。さらに病院の屋上で長門に「ありがとう」と言われる。明るい終わり方である。

 

 

 

以上の点をまとめたのが下の表である。

 

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伝えたかったこと

 

結局は他人と生きる選択をしたシンジに「気持ち悪い」という現実を思い知らせるのがエヴァ。「そんなに現実は甘くないぞ。他人と生きることは傷つけあうことだぞ」ということである。

 

それに対し、キョンが目を覚ました時にはハルヒSOS団から喜ばれる。みんな彼のことを心配してくれている。

 

「他人と生きていくのは傷つけあうだけじゃない。助け合い、喜び合うこともある」

 

これを伝えるために涼宮ハルヒエヴァを下敷きにしたと言ってもよい。

 

 

 次回は涼宮ハルヒの消失の全体構造について説明する。

 

 

 

 

出典:

https://twilightbangle.wordpress.com/tag/%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92%E3%81%AE%E6%B6%88%E5%A4%B1/

 

https://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱~全体構造編~

前回までキャラクターについて考察してきた

 

涼宮ハルヒの憂鬱~なぜ名作なのか~ - アニメの感想など。

 

涼宮ハルヒの憂鬱~エヴァとの関係~ - アニメの感想など。

 

 

今回は、涼宮ハルヒの憂鬱のなかでも重要な「憂鬱」の話に注目する。

 

憂鬱Ⅰ~Ⅵには奇妙なシーンが4つある。

 

  • 憂鬱Ⅰのハルヒの髪型が曜日によって変わる話
  • 憂鬱Ⅳの大人版みくるが言った白雪姫
  • 憂鬱Ⅴのアパート管理人が言った「その娘は美人になる。取り逃がすでないぞ」
  • 憂鬱Ⅵの終盤、キョンが言った「お前のポニーテールは似合っていたぞ」そしてキス

 

これらは何の意味も持たないシーンではなく、意図的に仕掛けられたものである。順を追って説明していく。

 

一つ目はキョンハルヒの最初の会話で特に意味はなさそうだが、髪型と曜日に注意しろ、というメッセージである。ハルヒから我々への忠告ともいえる。

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二つ目は憂鬱のラストに関わる伏線である。白雪姫(ディズニー版)は毒リンゴを食べて永遠の眠りについた姫が白馬に乗った王子様のキスで目覚める物語。ここで物語に出てくる数字に注目する。

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姫が7歳のときに魔法の鏡は「世界で一番美しいのは白雪姫だ」と言い、姫は7人の小人に守られる。そして一つ目の話に出た曜日も一週間つまり7日である。さらに、ハルヒを取り巻く人物もSOS団鶴屋さん+国木田+谷口=7人である。この7人が小人に対応している。

 

一つ目の話と白雪姫は7という数字で共通している。ちなみに白雪姫は春の話だが、「憂鬱」も4~5月なので春である。

 

三つ目は朝倉のアパートの管理人がキョンに向かってささやいた言葉。伏線というわけではなさそうなのに、キョンは意味ありげにハルヒを見つめている。

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ここで白雪姫の話を思い出す。

 

その娘は美人になる、ということは美しい白雪姫のことだから言い換えると、「涼宮ハルヒは白雪姫だ。お前取り逃がすなよ」という管理人からの警告である。すなわちキョンは王子様である。王子様が白雪姫を見つけてくれないと物語は成立しないので管理人は注意した。

 

四つ目が最も謎であるが、以上の三点を踏まえれば発言の意図が見えてくる。

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 白雪姫ではリンゴと白馬に乗った王子様が出てくる。リンゴはこのシーンの前に小泉が言った「アダムとイブですよ」に関係してくる。イブは蛇にそそのかされて知恵の実、つまりリンゴを食べ、アダムにもそれを勧めて食べさせた。そして楽園を追放させられた。

 

アダム役はキョン、イブ役はハルヒである。ハルヒは閉鎖空間の中で共に生きようと勧めてくる。これはリンゴを勧めるのに対応している。

 

ただそうすれば楽園つまりSOS団を失うことになる。今の生活を選ぶにはハルヒの目を覚まさないといけない。

 

ちなみに聖書にも7は重要な数字として出てくる。「神は世界を7日で作った」「7つの大罪」聖書と白雪姫、そして涼宮ハルヒには深い関係があるとみてよい。

 

そしてキョンSOS団のある世界を選択し、ハルヒにキスをする。ここで白馬の王子様が登場する。王子のキスにより白雪姫は目を覚まして、めでたしめでたし。ポニーテール発言はポニーつまり馬を示している。

 

キスする前に「ポニーテールが好きだ」と言ったのはキョンが白馬に乗った王子様と対応していることを暗示するためである。

 

白馬じゃなくてポニーだというところがいかにもキョンらしい。

 

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ここまで見てきたように「憂鬱」には何気ない日常のシーンにも深い意味が込められていた。下の表は「憂鬱」の構造をまとめたものである。

 

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青色は先ほど説明したシーン、赤色はハルヒが急に着替えだしたり帰ったりするシーン。各話に一回ずつ全部で6回ある。薄緑はハルヒの思想についてである。茶色はハルヒからみくるへのセクハラのシーン。

 

エヴァとの対応関係

 

表の太字はエヴァに対応する事象である。

 

長門のメガネとアパートへ行くはキャラクター構成の項で述べた。メガネがゲンドウと対応、アパートへ行くシンジが綾波レイのアパートへ行くのと対応

 

神人はエヴァ使徒に対応、閉鎖空間はATフィールドに対応

 

ハルヒキョンの首を絞めるのは旧劇ラストでシンジがアスカの首を絞めているのに対応

 

ハルヒが望んだ世界はエヴァが暴走した結果起こる人類補完計画後の世界に対応。またそのどちらとも主人公に阻止されることで対応

 

 ポニーテールとキスはポニーに乗るつまりハルヒエヴァを乗りこなすことに対応、キスはシンジとアスカのキスに対応

 

エンドレスエイトエヴァでよく使われる過去の場面が繰り返し出てくる心理描写に対応

 

 

そもそもエヴァキリスト教に深く関係した内容なので似ているのは当然なのかもしれない。

 

 

などキリスト教関連のワードがたくさん出てくる。

 

ちなみにシンジやアスカの年齢は14歳で白雪姫も14歳である。ただしエヴァが白雪姫を下敷きにしているかは不明である。

 

次に、下の表は涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版)全体の構造をまとめた章立て表である。

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「憂鬱」「ライブアライブ」「サムデイインザレイン」「笹の葉ラプソディ」以外はそこまで良くない。

 

ライブアライブは9分間にわたるライブシーンの出来がとても良い。渚カヲルが言ってたように歌はリリンの産みだした文化の極みである。

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笹の葉ラプソディは七夕、つまり7月7日が重要である。ここにも7が出てくる。劇場版へ続く伏線の一つなのでおさえておく必要がある。

 

サムデイインザレインは憂鬱に次ぐ重要なエピソード

 

ここまであえて触れなかったが、7が重要と言いつつ「憂鬱」は6話構成になっている。1話足りないので整合性がつかない。

 

ここで聖書に注目する。「神は7日で世界を作った」しかし厳密には7日目に神はお休みになったとある。つまり神は6+1日で世界を創造したことになる。この+1日に当たるのが「サムデイインザレイン」である。この回だけ淡々と、静かに進んでいくのはこのためである。

 

1話冒頭で坂を上りながら始まり、最終話ラストで坂を下りながら終わる物語なのである。

 

憂鬱とサムデイインザレインの対比関係については下の表にまとめた。

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思ったこと

 

聖書でイブをそそのかしたのは蛇なのだが、涼宮ハルヒの中に蛇はいるのだろうか。憂鬱Ⅵでキョンハルヒと閉鎖空間で生きるように促す人物が一人いる。小泉一樹なのだが、蛇は裏切りの象徴であるので今後の展開が非常に気になる。

 

あと猫のシャミセンは三毛猫と三味線ということで3という数字が隠されていて、3とは長門、みくる、小泉の3人である。3人とも互いに異なる意見を持っていて対立していることを暗示している。

 

次回は劇場版涼宮ハルヒの消失について説明する。

 

 

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱~エヴァとの関係~

前回のつづきから。

ハルヒとアスカ

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共通点はツンデレ。セリフに「バカキョン!」「バカシンジ!」感情の起伏が激しく、情緒不安定であること。主人公とキスをすること。主人公とはアダムとイブの関係。

 

違いはハルヒが不思議を追うのに対してアスカはトラウマに追われる。ハルヒのポニーテールに対してアスカのツインテール

 

みくるとミサト

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共通点は年上であること。主人公に対して母性的に接すること、みくるは小泉とキス未遂し、ミサトは加持と何度もキスする。みくるは甘酒で、ミサトはビールで酔っ払う。そのときどちらも白いシャツを着ている。

 

違いはみくるが禁則事項によって未来に囚われているのに対してミサトはセカンドインパクトで父を失った過去に囚われている。

 

小泉と加持

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共通点は男前であること。ヒロインの扱いに慣れていること。謎の「機関」に所属していること。主人公にアドバイスをする。

 

違いは小泉が同級生なのに対して加持は年上。小泉は女にモテないが、加持はモテる。

 

ハルヒエヴァ

ここまで主要キャラクターの比較をしてきたが、肝心のエヴァンゲリオンが欠けていた。ここの比較ができないのでは二つの作品は結び付かない。

 

「憂鬱Ⅵ」のクライマックスのシーンに注目する。

 

神人が近づくなか世界の命運を懸けたシーンで、キョンハルヒに向かって言う。

 

「いつだったかお前のポニーテールは、反則的なまでに似合っていたぞ」

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さらに、現実世界に帰ったあとポニーテールにしたハルヒを見て、「似合ってるぞ」と言う。

 

意味不明である。涼宮ハルヒの憂鬱の中でも、謎めいたシーンの一つである。ハルヒでなくとも混乱するだろう。なぜクライマックスのシーンでショートヘアのヒロインに対してポニーテールの話をする必要があったのか?

 

アスカのツインテールと掛けている、というのは惜しい気がする。

 

恐らくポニーは馬の一種で、ハルヒを馬に例えている。「ポニーテールが似合ってる」と言ってポニーテールにさせたキョンは馬の調教師という比喩である。唯我独尊のハルヒに命令できたのだから。

 

つまりあのシーンでキョンハルヒをコントロールした、言い換えると操縦した、と言えるでしょう。初号機のパイロットがシンジにしかできないのと同様に、ハルヒパイロットもキョンにしかできないことを暗示している。

 

この他にも、鶴屋さんがリツコ、谷口・国木田がトウジ・ケンスケと対応している等、比較できる点は多い。すべてではないが、大まかにまとめたのが下の表である。

 

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 ところで、「憂鬱Ⅰ」でハルヒキョンが髪型と曜日に関する謎のシーンがあるが、あれはハルヒの髪型に注意しろよ、という作者からのメッセージだと推測する。なんとも親切なことよ。

 

キャラクター構成表については、疑問点・欠陥がありましたら教えて下さると助かります。

 

次回は全体構造について説明する。

dangodango.hatenadiary.jp

 

参考

d.hatena.ne.jp

 

 自分なんぞよりとっくの10年以上前にキャラクター表を作っている方がいた。おおむね一致しているが、細部で自分のものとは異なる。

 

偉大な先人に敬意を表して、ここに載せておく。

 

 

 

 

 

出典

http://kura3.photozou.jp/

http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/gallery/200602.html

初体験

小泉一樹|無料GIF画像検索 GIFMAGAZINE [5678]

小泉一樹|無料GIF画像検索 GIFMAGAZINE [5678]

http://pony-tail.org/archives/137

涼宮ハルヒの憂鬱~なぜ名作なのか~

涼宮ハルヒの憂鬱」は2006年に放送され、12年経った今でも愛される名作である。再放送での視聴率の高さがそれを物語っている。

 

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なぜここまで愛される作品となったのか?普通の作品と何が違うのか?

 

結論から述べると

 

涼宮ハルヒの憂鬱エヴァンゲリオンを下敷きに作られた作品だから

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というのが理由である。これについて説明していく。

 

 

下敷きにする、というのは過去の名作の特徴(キャラクター、全体構成、セリフ)をうまく自分の作品に落とし込むことである。

 

自分の作品を人気作品にしたいなら過去の名作を参考にすればいい。至極、合理的な考え方である。

 

エヴァンゲリオンは90年代に社会現象になるほどの人気を呼び、現在でも続編を待たれる人気作品である。

 

注意してほしいのが下敷きにすることは決して「パクリ」などではない。良いところを吸収して自分なりのアレンジを加えたうえで、作品に活かすのである。

 

宮崎駿細田守新海誠、みな古典を下敷きとした作品を世に出している。

 

 

次に下敷きになっていると分かる根拠を示していく。まずはキャラクターから説明していく。

 

長門綾波レイ

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一番似ているのは長門綾波レイである。これは気づかれた方も多いのではないか。

 

髪型と無表情である点から長門はレイを意識して作られたと考えて間違いない。

 

しかし、長門はメガネをかけているがレイはかけていない。

 

大きな違いであるがこれについては後で述べる。

 

キョン碇シンジ

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次にキョンとシンジである。

 

二人とも従来の主人公像と大きくかけ離れている。そしてともに「選ばれた子ども」である。

 

それまでのアニメの主人公と言えば、ポジティブで正義感の強い人物がセオリーであった。ガンダムアムロやワンピースのルフィはその代表例である。

 

それに対してシンジはネガティブで傷つきやすい臆病な性格をしている。

 

キョンはネガティブではないがどこか悟ったような平凡を求める生き方をしている。シンジのように思いつめたり、斜に構えたりする様子はない。

 

そして二人とも共通して活発的とは言えない。

 

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上図はキョンとシンジの性格を表す概念図である。

 

プラスに向かうほど明るくポジティブ、マイナスに向かうほど暗くネガティブである。A点はアムロ、ルフィなどでB点はシンジ、原点Oはキョンを示している。

 

今までの漫画アニメはプラスの主人公がほとんどだった。

 

そこに庵野はマイナスの主人公であるシンジを発明した。

 

さらに涼宮ハルヒではプラスでもマイナスでもないニュートラルな主人公キョンを発明した。

 

涼宮ハルヒの憂鬱が放送当時、社会現象を起こすほど流行ったのは新しい主人公の発明が要因の一つに挙げられる。

 

シンジはいきなり父親に呼び出されて「エヴァに乗って使徒と戦え」と言われる。理不尽である。

 

キョンは平凡を求めてたのに無理矢理SOS団に入れられる。理不尽である。

 

 しかし二人とも拒絶してはいるが、結局エヴァに乗っているしSOS団の活動をしている。

 

主体性がなく周りに流されやすいという点で二人は共通である。

 

そしてシンジはエヴァパイロットに選ばれ、キョンハルヒに選ばれた。選ばれた子供という点で共通である。

 

次にキョンとシンジの異なる点を述べる。

 

二人の最大の違いは「父親の存在」である。

 

 

シンジは父親を恐れているのと同時に自分を愛してほしいという屈折した感情を持つ。

 

これがエヴァンゲリオンの暗く重苦しい世界観につながっている。

 

これに対し、キョンには父親はいるが作中には一切出てこず、父に対して複雑な感情を持つことはない。父親が出てこないのだから当然である。

 

これがコメディ風の愉快な世界観につながっている。

 

ここで先ほどの長門のメガネである。

 

シンジの父ゲンドウはメガネをしていたが、レイを救出する際に割れてしまう。その後割れたメガネはレイが保管している。

 

長門キョンを救出する際にメガネを失う。しかしキョンに「メガネは無い方がいいぞ」と言われてかけなくなる。

 

ここで長門のメガネはゲンドウのことである。キョンの父親はでてこないが、その名残りが長門のメガネである。

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つまり「メガネは無いほうがいいぞ」というセリフは「この作品に父親は出てこない。だからエヴァよりも明るい作品だ」と暗に示している。

 

個人的な感想としてやはりエヴァを見るよりも憂鬱を見てる時の方が気軽に楽しく見ることができる。

 

もっともエヴァの鬱々とした感じも嫌いではないが。

 

以上のことからも涼宮ハルヒエヴァを下敷きにしていることが分かる。

 

次回はハルヒとアスカの関係から説明していく。

 

(参考) 

matome.naver.jp

matome.naver.jp

matome.naver.jp

 

こちらの方のまとめは大変面白いので、是非読まれたし。

 

出典

http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/gallery/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未来のミライ~初見考察~

一回しか見ていないので詳細な部分はあやふやである。

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一言で表すと「時間と家族の物語」

 

「家族は大切にしよう。支えあおう」そんな当たり前のことを再認識させてくれる映画だった。

 

未来のミライでは主人公くんちゃんによる計5回のタイムリープおよび幻想世界での冒険が行われる。下の表は主人公と幻想世界での家族の特徴を表にしたものである。

 

「現在」の項目では現在の主人公の様子、「幻想世界」では対象の人物としたこと、「結果」はその結果、主人公がどう変わったか、「乗り物」は幻想世界に出てくる乗り物である。(犬が乗り物なのか分類が微妙、ミライのときは出てこない)

 

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*表のくーちゃんはくんちゃんの誤りです

 

基本的に主人公が親に構ってもらえず、妹を新幹線のおもちゃで殴ろうとして親に叱られてから幻想世界(中庭)へ行く。現実と現実との間には必ず幻想世界での話があるので、サンドウィッチ構造になっている。

 

なので家の間取りもリビング、中庭、子供部屋とサンドウィッチのような一風変わったものになっている。

 

幻想世界と現実

  • 新幹線のおもちゃでミライを叩く➡駅でひとりぼっちの国行きの新幹線に乗せられそうになる
  • ミライに魚の形をしたお菓子を顔につけるイタズラをした➡魚の大群によって母親の過去へ連れてかれる
  • 過去の世界で母親は泣いている➡枕元で母親は泣いている
  • ミライの名前候補に「つばめ」➡家族の歴史を巡るときにつばめが映る
  • ひいおじいさんは船が転覆して股関節に傷を負う➡ミライの手にはアザがある

 

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他にもあると思うが記憶できなかった。最後のミライのアザについては幻想世界ではないが、アザのついた理由が明確に語られなかったことと重大なポイントではないかと考えて付け加えた。

 

他の細田作品もそうだったが、ストーリーの中で関連する事象が非常に多い。こういう作品を見ると人は無意識に美しいと感じるので、記憶に残る作品になりやすい。

 

分からなかった点

  • 冒頭、雪が降ったのはなぜか
  • ミライの手のアザ

 

冒頭のシーンは恐らく何らかの出来事との関連なのだろうが分からなかった。もう一度見直して確認したい点である。

 

ミライの手のアザはひいおじいさんの傷と説明したが、実際のところよく分かっていない。なぜアザが付いていたのか?アザがある設定が必要だったのか?ここも重要な点であるので確認したい。

 

気になったシーン

 

終盤、幻想世界で主人公が電車に乗るシーンがあるが、電車のシーンが出てくるアニメはもう一つある。2年前に大ブームになった「君の名は。」である。ジブリ作品でも「千と千尋の神隠し」に千尋カオナシが電車に乗って銭婆婆の家に向かうシーンが描かれている。特に「君の名は。」では重要な場面で使われた。

 

何が言いたいのかというとアニメを作る人たちは「電車」が好きであること、もっと言うと「銀河鉄道の夜」が好きである。

 

銀河鉄道の夜」はジョバンニとカムパネルラの絆の物語である。「千と千尋」は千尋とハク、「君の名は。」は三葉と瀧、「未来のミライ」はくんちゃんとミライの絆の物語である。

 

また、銀河鉄道の夜も現実→幻想→現実の構造となっており、先程述べたサンドウィッチ構造と同じである。構造的にも銀河鉄道と非常に似ている。

 

人と自然、過去と未来、兄と妹、全部ジョバンニとカムパネルラである。

 

思ったこと

 

未来のミライ」を見て似たような感触を覚えたのが「CLANNAD」と「君の名は。」だった。前者は家族の物語、後者は時間の物語である。個人的には「バケモノの子」より好きなのだが一般的にはどのような評価になるのだろうか。

 

上の表と幻想と現実の対応を思いついたのは終盤のミライのセリフだった。

 

ミライ「ほんのささいなことが今の私たちを形作っているの」

 

このセリフが「バラバラの事象なんてない。ほんのささいなことでも幻想と現実を対比させているの」と暗示しているように聞こえたからだ。

 

細田守は「家族」をテーマにした作品をたくさん描いてきたが、どうしてそれをする必要があったのか。それは当たり前のことだけど、ついつい忘れてしまうからだ。くんちゃんとミライの両親がそうであるように現代人はみんな忙しくて、疲れている。特に子育ては大変この上ない。

 

このままでは家族の大切さ、当たり前の日常の尊さを忘れてしまうので、定期的に思い出す必要がある。そうしないと悲惨な殺人事件に繋がってしまうからだ。アメリカでは学生が銃で同級生を惨殺する例が絶えない。(あれはスクールカースト銃社会も悪いのだが)

 

日本人は幸福なことに細田作品を見てそれを思い出すことができる。

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン7話

 

7話のテーマは「亡き娘への罪と救済」

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簡単なあらすじを説明する

 

舞台→戯曲家の別荘へ赴く→身の回りのお世話→食事→代筆→傘と娘の話→代筆→湖を跳ぶ→傘を貰って船に乗る→船中で苦悶する→ギルベルトの死を知る

 

7話のクライマックスは湖を跳ぶシーン(18分07秒〜)。

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ヴァイオレットの跳ぶ姿を見てオスカーはこう語りかける。

 

オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」

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奇跡とは何か?なぜヴァイオレットが神さまなのか?

 

謎を解くには発言者のオスカーウェブスターについて知らなくてはならない。

 

オスカーは人気の戯曲家である。しかし、娘オリビアを亡くしている。不幸である。不幸どころか罪を背負ってしまっている。

 

冒頭(1分13秒〜)「ああ、私はこの罪を背負っていくしかない。このさき一生」

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確かに罪を背負ってそうな顔をしている。

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そんな時にヴァイオレットがやってくる。彼女は娘と同じ髪の色をした少女であった。しかし似ていたのは外見だけで、義手をしている上にカルボナーラもろくに作れない。娘との甘い思い出とは程遠い。

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ヴァイオレットの登場が返って娘の不在を際立たせてしまう。

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次に戯曲の原稿を代筆するシーン(8分33秒〜)に注目する。戯曲の感想を聞かれヴァイオレットはこう答える。

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ヴァイオレット「本当の話ではないのに自分が体験してるようです」

 

戯曲の内容は主人公オリーブは船が無いので父が待つ家に帰れなくなる。そこで傘と風の使いの力で海を渡って帰るというものである。

 

もちろん主人公のモデルはオリビア。そしてこのセリフから

 

リビア=オリーブ=ヴァイオレット

 

という関係が成り立つ。(ここで納得できない人はヴァイオレット・エヴァーガーデンをつまらないと思う人である。伏線とかにこだわる人は抽象的なイメージを繋げることを嫌う)

 

つまり死んだ娘に代わってヴァイオレットが主人公となり物語を完成させるということを暗示している。

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(18分07〜)

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そして湖のシーン。オーケストラの音楽と共にヴァイオレットが駆け出す。高くジャンプして落ち葉の上を歩き出す。娘の「いつか、きっと」の言葉通りに。

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奇跡が起きてオリビアは父の元に帰ってきたのである。オスカーは救われた。だから涙を流している。

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以上をまとめると

・オスカーは罪を背負っている

・ヴァイオレットが娘オリビアに成りかわる

・オリビアの言葉通りにヴァイオレットは湖の落ち葉の上を歩く奇跡をやってみせる

・オスカーは救済された

 

つまりヴァイオレットはイエス・キリストである。

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エスは水の上を歩く奇跡を起こせる。そして娘の言葉は預言である。

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ちなみにオリーブは聖書に頻繁に登場する植物で花言葉は「平和」である。

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エスは人間の罪を肩代わりできる。イエスを信じる者は救われる。ただし、一瞬で湖に落ちてずぶ濡れになってしまうが。

 

もう一度オスカーの言葉を思い出してもらいたい。

 

オスカー「奇跡を起こしてくれた彼女におれは言った。『神さまなんていないだろうけど、いるなら君のことだ』」

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オスカーにとってヴァイオレットは神さまだったのである。

 

<思ったこと>

6話より出来はいい。

(18分07秒〜)はBGMと絵が素晴らしいので感動できる。このシーンだけでもアニメが絵だけでは成り立たないことが分かる。もっと音楽を大切にすべきだ。

 

ヴァイオレットがイエスの比喩だというのは奇想天外でアホな発想と思われるかもしれない。というより自分自身でもそう思っている。でも面白いのでこのままいく。

 

今回のオモテ-ウラ図は以下の通りである。

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相変わらず愚直なヴァイオレットはオモテ族で、父の心を汲み取れるオリビアはウラ族である。湖を跳ぶ行為がウラ族へのジャンプとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン6話〜オモテ族とオモテ族〜

6話のテーマは「寂しさとの決別」

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簡単なあらすじを説明する

 

仕事で天文台へ→リオンと古文書の解読と代筆→図書館での会話→アリー彗星観測→リオンとの別れ

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6話は1〜5話と大きく異なっている。

 

異なっている点は二つ。

・ヴァイオレットとリオンがどちらもオモテ族

・手紙が出てこない

 

オモテ族は率直な言い方を好み、嘘が下手である人間、ウラ族は遠回しの言い方を好み、嘘や隠し事をする人間のことである。

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詳しくは下の稿を読んでほしい。

 

 

まず前者について

今までの話はヴァイオレットとエリカ、ダミアンとシャルロッテのようにオモテ族とウラ族がペアになって展開されていた。

 

しかし、6話に登場するリオンはヴァイオレットと同じく、率直な言い方で嘘が下手であるという点からオモテ族に分類される。

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気になったシーン

 

(14分09秒〜)

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ヴァイオレット「少し似ていますね」

似た者同士なのだからオモテ族とオモテ族である。

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オモテ族とオモテ族のペアは性格が似ているので会話が弾み、自然と仲を深めることができる。

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つまり手紙を書かずともお互いを理解し合えるのである。仲良くなるのに手紙を必要としない。これが後者である。

 

またこのことからヴァイオレット=リオンの関係が成り立つ。今回は対(⇔)ではなくイコール(=)である。

 

しかし、ヴァイオレットとリオンが仕事で出会って仲を深めるというのでは、ありきたりでつまらない。

 

圧倒的な作画とオーケストラの音色を使って描かれるのが平凡なラブコメでは話にならない。

 

よってもっと深みのあるストーリーにしなければならない。

 

そのためにはウラ族が必要である。オモテ族とウラ族が手紙を介して気持ちを伝え合うのがヴァイオレット・エヴァーガーデンの一つのテーマでもある。

 

ではウラ族は誰だろうか。それは「アリー彗星」である。彗星は人間ではないが、ここではイメージとして例えられている。アニメは芸術作品なので人間にこだわる必要はない。

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(17分08秒〜)

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二人の会話から

ヴァイオレット→彗星=ギルベルト

リオン→彗星=リオン母親

であることが分かる。

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彗星は我々から遥か遠い宇宙を流れ、出会えるのも200年に1回である。これがヴァイオレットにとってのギルベルト、リオンにとっての母親の比喩になっている。

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先ほど6話に手紙は出てこないと述べたが、実は手紙は出てくる。正確に言うと「手紙の役割を持ったもの」が出てくる。

 

それはリオンが解読した古文書の一節にある。

 

(9分16秒〜)

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「その別離は悲劇にあらず。永遠の時流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、その魂は未来永劫守られるが故に」

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絵には母親と子供が描かれている。リオンとその母親である。

 

(21分21秒〜)

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彗星を見たときヴァイオレットはギルベルトを想い、リオンは母親を想っている。そして彗星から「手紙」が届く。(ヴァイオレットの口から)

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「その別離は悲劇にあらず。永遠の時流れる妖精の国にて、新たな器を授かりて、その魂は未来永劫守られるが故に」

 

分かりやすく言い換えると

 

「その別れは悲しいことではない。その想いは心の中で永遠に守られ続ける。だから閉じ篭ってないで新たな一歩を踏み出してほしい」

 

リオンは母親のことを待ち続けていた。しかし、天文台で待っていても母親に会うことは永遠にない。そんなことよりも自分の夢を追いかけてほしい、というメッセージを受け取ったのだ。

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ヴァイオレットはギルベルトの不在を寂しく感じるが、命令を待つのではなく、ドールとして一歩ずつ歩み出している。

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以上からアリー彗星からの手紙によって二人に心情の変化が起こった。

 

・リオンは母親を待つのをやめた

・ヴァイオレットはこれからもドールとして生きていこうとした

 

ウラ族からの手紙でオモテ族に変化が起こる。これは1〜5話の構造と同じである。

 

(6分57秒〜)

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リオンはヴァイオレットに一目惚れする。最も自身は自覚しておらず、無意識に恋をした。

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(20分13秒〜)

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彗星を見る直前の会話で「ギルベルトに何かあったら駆けつけるのか」という問いにヴァイオレットは「あなたにどう謝罪しようか考えている」と答えられ、失恋する。

 

そして彗星が流れる。ヴァイオレットとの心のの距離も彗星と同じくらい離れていたのである。彗星(手紙)を介してヴァイオレットに振られたのである。

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つまり、彗星を見て起きた心情の変化は

 

・リオンは母親をまつのを待つのをやめた

・ヴァイオレットはこれからもドールとして生きていこうとした

・リオンはヴァイオレットを諦めた

 

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の3つになる。たった一つのシーンで3つの感情を表現しているので、彗星が流れるシーンはより一層神秘的になる。

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(23分58秒〜)

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ヴァイオレットとリオンの別れのシーン。

リオンとヴァイオレットが会うことはない。リオンもそのような趣旨のセリフを言っている。

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それでも自分と似たオモテ族の人間と出会ったことでいくらか彼に自信がついた。 

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<思ったこと>

 

1〜5話に比べて少し物足りないといった感想を持った。

 

6話は今までの話と違って、ストーリーの構造が異なっている。当然、作り方も違う訳だから労力が余分にかかる。そのせいで完成度が若干落ちてしまったのだと考えられる。

 

具体的には(7分27秒〜)の古文書を解読するシーンは長く引っ張りすぎで、(21分21秒〜)は短すぎた。アリー彗星のシーンは6話のクライマックスなのだからもう少し引っ張っても良かった。

 

(23分58秒〜)でリオンとヴァイオレットが会うことはないと述べたが、仮にギルベルトが死亡していたのならば会える可能性は上がる。似た者同士なのだから案外うまくいくのではないか。